注目の若手歌舞伎俳優・尾上右近ことケンケンの日本文化を学ぶ連載。今回は、目白台にある永青文庫で開催中の「大名美術入門 -殿と姫の美のくらし-」展に行ってきました。永青文庫は、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にある美術館で、細川家伝来の美術工芸品を中心に所蔵しています。朝、開館前の取材で、永青文庫の敷地に入ってきたとたん、「すごい! ここは空気が東京じゃないと思いました」と、ケンケンは心地よさそうな笑顔を見せてくれました。さあ、4階の展示室から巡りましょう!
細川家のスタイリッシュな甲冑が斬新!
今日の天気も手伝っているのだろうけど、なんだかこの洋館の窓からは遠く海が見えちゃいそうな雰囲気です…。正面玄関から入ってきたときの建物の空気感もすごくいいと思いました。
「栗色革包紺糸射向紅威二枚胴具足」江戸時代後期
まずは、細川家の特徴的な甲冑「栗色革包紺糸射向紅威二枚胴具足」のスタイリッシュさに驚きました。細川家二代・忠興が50回にも及ぶ自らの戦の経験を活かして考案したという「三斎流具足」と呼ばれるスタイルの甲冑で、槍と鉄砲が普及した戦国時代の戦闘に対応できるよう軽量に作られたそうです。配色といい、山鳥の尾羽のついた頭立といい、ちょっといいですよね。横から見ると兜の後ろに(馬や牛やヤクの毛でつくられた)飾りの毛もついているんですね。
「桜金物紺糸威胴丸具足」江戸時代中期
一方、隣りに展示されていた「桜金物紺糸威胴丸具足」は中世の大鎧や胴丸を模した華やかで贅を尽くした復古調の甲冑。こちらは男らしくて、歌舞伎でもよく見る形です。歌舞伎では鎧をつけることはあっても、兜をつけることは意外と少ないんです。「熊谷陣屋」という演目が一番ポピュラーかな。フル装備ともなると衣裳でもなかなかの重量感ですから、本物になると、やはりすごいでしょうね。「三斎流具足」と比べると、約6kg前後重いそうです。
「白羅紗左袖緋陣羽織」江戸時代後期
鎧の上には陣羽織を羽織ります。鎧の、上にですよ、これがね、背中が丸まって見えてしまうので、形良く見せるのが難しいんですよ(笑)。しかし、この白の陣羽織、左袖だけ赤のデザインがカッコよかったです。お洒落だなあ。
武家の必須武芸、犬追物?!
「犬追物図屏風」江戸時代前期
縄で作った円形の馬場に放した犬を馬上から蟇目の矢(犬を傷つけない矢)で射る競技・犬追物を描いた作品「犬追物図屏風」。これを見て僕はびっくりしましたね。流鏑馬、笠懸と合わせて「馬上の三物」として武家の必須武芸だったんですって…。
これさ、ほんとにさ、やめてよ。殿、嗜まないでよ(笑)。
いくら矢の先が丸くなっていても、いやいや、痛いでしょ。絶対痛いよ。せめて土俵の中だけにしてほしいけど、外まで追っかけてる人もいるし…。なぜこれが生まれて嗜みということに発展したのかわかりませんが、この屏風絵には行楽客の様子も描かれていて、お祭りのような楽しげな雰囲気もありますね。まあ…ちょっとショックでした(笑)。それにしても、この絵の中に描かれている蟇目が今存在するということがすごいですよね。
姫の嫁入り道具にみる日本人の精神
「九曜紋蒔絵貝桶」一対の貝桶には378組の貝があおさめられている。江戸時代後期
3階フロアで、お姫様の嫁入り道具一式を拝見して思ったんですけど、貝合わせにしても、お香のゲームにしても、とにかくゆったりとした時間が流れる中で生まれた発想であり、遊戯ですよね。だって贅沢じゃないですか、貝合わせなんて、蛤に絵を描いて、いわゆる神経衰弱のような遊びだったわけでしょう。しかも、嫁入り道具の中でも貝桶がいちばん重要なアイテムで、行列ではお姫様より前だったのですから…。一瞬、何故? とも思いましたが、やはり貝と貝が合わさるように夫婦円満にという、自分が嫁入りして夫婦円満を築き上げるという覚悟の表れなんでしょうね。その心をいちばん大事にしなきゃいけないからこそ、貝桶が先頭を切ることが習わしとなった。で、せっかくやるなら贅沢に美しいものをつくろうという気持ちは、やはり日本人ならではの精神なんじゃないでしょうか。
「桜唐草九曜紋螺鈿料紙箱」江戸時代後期
それにしても、細川家の九曜紋はデザイン的にすごく力がありますよね。長持やいろんな調度品にあしらわれていると締まるじゃないですか。大名という重さや大きさも感じますが、螺鈿の料紙箱に散らした工芸品などはすごく女性的で可愛らしい雰囲気にもなる。時代を超えて、モダンにも見えます。
こちらは化粧道具の刷毛。なぜか2つずつあるのが不思議でした。予備なのかな…。まあ、ほんとに贅沢なことです。どうせかたちにするならば美しいものをつくろうという気持ちがなんともいいなあと思います。
「菊唐草蒔絵化粧道具」のうち櫛、お歯黒をする時に口をすすぐ耳盥。江戸時代後期
僕らも化粧前の道具は、日々欠かせないものですが、ついつい合理的に簡略化されたものを使いがちなのです。こうして蒔絵の装飾なんかを見ていると、身の回りに置いて使うものに関してもっと大事に考えるべきだと思い返しました。僕の曾祖父の六代目菊五郎が楽屋にいて、その脇に鉄瓶がある写真があるのですが、その鉄瓶は今も実際にあります。なんだか時空を超えて六代目の息遣いを感じてしまうんです。それと同じような感覚をおぼえます。
時空を超えて、正真正銘のものに触れる
「茶入茶碗写真帖」を眺めるケンケン。細川家と茶の湯の関係は深く、特に二代忠興(三斎)は利休の高弟で、教えを忠実に受け継いだ一人として評価されている。細川家には利休や三斎ゆかりの茶道具が複数伝わる。「茶入茶碗写真帖」は八代・重賢の発案で細川家とその家臣が所蔵していた茶入142点と茶碗70点を描き出した茶道具図鑑。
絵と実物が一致していると、より身近に感じられますよね。時空を超えて今、正真正銘のものに触れているんだなと感じます。僕はこの「掛分茶碗 銘 念八」自体がすごく好きです。
「掛分茶碗 銘 念八」江戸時代前期
ところで、細川家の殿は参勤交代のときも愛用の茶碗は大切に持ち運んでいたそうです。僕なんかは地方公演などで移動が多い職業ですが、壊したくないとか傷つけるからという理由で持ち物はどんどん簡易になります。でも、茶碗を大事に持ち運ぶように、常に身の回りに本物を置いておくということは大事なことなんでしょうね。僕が憧れの曾祖父の使っていたものが残っている嬉しいように、僕の子孫がもし跡を継いだときに、僕やその先祖が使っていたものが残っていないのはかわいそうだなと思いました。いいものをちゃんと大事にして身の回りに置き、それが伝わるように残す。せっかく自分より長生きする物ですしね。
利休作の「黒鶴」を三斎が模して作ったと伝わる「茶杓 くろつる写」 。桃山〜江戸時代初期
こうして拝見していると、道具はその人を表すと、つくづくそう思います。茶杓の鋭さや繊細さからも、やっぱり三斎はすごく人間性の質が高い人だったんだなと思いました。それから、僕、当代の細川護熙さんがつくられたぐい呑みを持っているんです!そのことも今日あらためてちょっと誇りに思ってしまいました(笑)。
「九曜紋蒔絵香枕」江戸時代中期
いろいろな機能を兼ね備えた枕がありますが、これ、香る枕って初めて見ました。お香を焚いてその上に頭を置くって、すごい発想だなと思ってびっくりしました。一瞬、気がつかずにスルーしちゃったけど。めちゃくちゃいいですね。当時の女性は基本的に結いっぱなしで、髪に対するこだわりも強かったため、こういうものをつくるという発想に至ったんでしょうね。
能は大名にとって修めるべき教養のひとつ
能は武家の式楽として定められ、大名にとっては修めるべき教養のひとつだったそうです。江戸時代、細川家は金春流と喜多流の能楽師を抱えていたため、面や装束をはじめ、楽器や謡本なども多く残されているそうです。僕は数年前に新作歌舞伎「源氏物語」に出演し、能楽の人たちと初めて共演させていただき、それをきっかけにちゃんと能を観るようになったんです。能の世界は奥深く、知れば知るほど楽しみが増える世界だと思いました。
細川家に残る女系の能面。「孫次郎」江戸時代前期
歌舞伎の中でも能を題材にした松葉目ものの演目「船弁慶」「熊野」「紅葉狩」「隅田川」があり。頭もカシキというさげ髪の鬘でやるんです。さげ髪に合う顔があって、そのいちばん理想的なかたちをしているのが能面のような気して、能面からヒントをいただくことがたくさんあります。自分の顔を化粧で能面に近づけてゆくわけです。表情の制約は、普段の女形の役に比べて俄然、高まりますから、表情を動かすわけにはいかないから難しいところです。
ここにいると時間を忘れるし、ここが東京であることも忘れますね。美術館の下には肥後細川庭園があるそうですから、元々はすごく広い敷地だったんですね。実は、僕の先祖のお墓はここからすぐ近くの雑司ヶ谷霊園にあるので、半年に2、3回はお墓参りに来ています。ですから、永青文庫があることはなんとなく知っていたのですが、今回、初めて来させていただきました…。いやあ、よかったです。実際に来てみないとわからないし、感じられないことってたくさんありますね。1年に4回は展示が変わるというペースもいい。次回は、白隠が出るそうですから、またお墓参りの帰りにふらりと来てみようと思います。
「大名美術入門 殿と姫の美のくらし」
会期 開催中〜2018年10月3日
会場 永青文庫
住所 東京都文京区目白台1-1-1
開館時間 10時〜16時半(入館は16時まで)、月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日)
※次回、秋季展「江戸絵画の美―白隠、仙厓から狩野派まで」は、2018年10月13日〜12月5日
尾上右近プロフィール
歌舞伎俳優。1992年生まれ。江戸浄瑠璃清元節宗家・七代目清元延寿太夫の次男として生まれる。兄は清元節三味線方の清元昂洋。曾祖父は六代目尾上菊五郎。母方の祖父は鶴田浩二。2000年4月、本名・岡村研佑(けんすけ)の名で、歌舞伎座公演「舞鶴雪月花」松虫で初舞台を踏み、名子役として大活躍。05年に二代目尾上右近を襲名。舞踊の腕も群を抜く存在。また、役者を続けながらも清元のプロとして、父親の前名である栄寿太夫の七代目を襲名10月1日(月)〜25日(木)は御園座の顔見世公演に出演予定。【公式Twitter】 【公式Instagram】 【公式ブログ】
撮影/三浦憲治 構成/新居典子
【尾上右近の日本文化入門】
第1回 北斎LOVEな西洋のアーティストたち♡
第2回 大観と言えば富士?!
第3回 東博に超絶御室派のみほとけ大集合!
第4回 ケンケンが刀剣博物館に!
第5回 錦絵誕生までの道程 鈴木春信の魅力
第6回 日本建築とはなんぞや!
第7回 国宝「合掌土偶」が面白い!
第8回 永青文庫で、「殿と姫の美のくらし」を拝見