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2025.02.21

47歳・蔦屋重三郎の死因は“寛政の改革”!?車浮代さんと紐解く江戸の食文化

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2025年大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、浮世絵を大ヒットさせた蔦屋重三郎が主人公。残念ながら彼は47歳で亡くなってしまう。なぜ若くして蔦重は死んでしまったのか? 時代小説家/江戸料理文化研究家で、蔦屋重三郎関連の多くの著書を持つ車浮代(くるま うきよ)さんの考察を聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室を、国宝級の茶室に見立て抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

蔦重の時代、濃口醤油はなかった? 蕎麦のタレも今と違った江戸中期のグルメ

蔦重の死因には“食”が絡んでいると考えられる。まずは、蔦重がどんなものを食べていたのか、浮代さんに聞いてみよう。

給湯流茶道(以下、給湯流):蔦屋重三郎が食べていたものは、にぎり寿司やそば、鰻など今の日本食とほぼ同じだったのでしょうか?

新吉原櫻之景色(部分)/歌川豊国/東京国立博物館/出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

車浮代(以下、車):いえいえ、そうとも言い切れません。江戸時代はとても長く続きましたから、前期と後期でも味付けはかなり変わります。たとえば蔦重の時代は、上方の下り醤油(薄口醤油)から、関東の地回り醤油(現在の濃口醤油)に、入荷量が入れ替わる時期でした。

給湯流:どういう状況でしょうか? 

車:今、醤油といえば大豆でつくった濃口醤油がメジャーですよね。ですが江戸初期は、小麦で作った上方の薄口醤油しかなく、江戸までの運搬料もかかった。とても薄口醤油は高価なので、江戸の一般庶民は口にできませんでした。千葉県の野田や銚子で造られた濃口醤油が流通し始めたのが1600年代後半。そこから徐々に追い上げ、蔦重が30代の頃には、濃口醤油が一般的になります。

給湯流:醤油が広く流通するまでは、塩や味噌味が多かったのでしょうか?

車:庶民の家庭の多くは、室町時代からある「煎り酒」という調味料を作っていました。純米酒と梅干し、削り節を煮詰めた調味料です。

浮代さんが煎り酒で作った料理「玉子煎りだし」

給湯流:それはおいしそうです! そばも煎り酒で食べていたのでしょうか?

車:大河ドラマ『べらぼう』に「つるべそば」というのが出てくると思うのですが、そばは当初、味噌ダレで食べていたようです。味噌に濃いカツオ出汁を合わせたタレです。

給湯流:なんと! 大河ドラマに出てくる、醤油ダレで食べるそばは、新しいスタイルなのですね。

鰻の出前、蔦重の頃はおからで保温した? 蔦重時代のびっくり外食事情

車:蔦重が生まれるおよそ90年前、江戸で「明暦の大火」と呼ばれる大火災がありました。じつは、この火災が江戸グルメを発展させたのです。

東都宮戸川之圖/歌川国芳/宮戸川は隅田川の別称。遠くに筑波山を望み、葦が青々と茂る川に入って鰻掻きで鰻を獲る様子が描かれている。出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

給湯流:火事がグルメと関係あるとは…いったいどういうことでしょう?

車:町中が焼け野原になって、あちこちで突貫工事が行われたのです。工事を請け負う労働者のために屋台が出始め、江戸で外食産業が発展するきっかけとなりました。

給湯流:火事をきっかけに屋台ができたのですね。ちなみに蔦重の頃から出前はあったのでしょうか? 今も歌舞伎鑑賞でお弁当を劇場内で食べたりしますが……。

車:劇場への出前文化もあったと思います。たとえば鰻のかば焼きなどは、冷めないように温かいおからに包んでいたようですよ。ごはんは別の箱で運んでいたとか。

給湯流:おから!? ひもを引っ張ると温まる、現代の加熱式の牛タン弁当のようなものでしょうか。ちなみに鰻を食べるとき、おからは捨ててしまったのでしょうか?

車:いやいや、そんなもったいないことはしません。出前で保温材にされていたおからは、そのままごはんに乗せて食べてもおいしいのですよ。魚の味が染みていて。

給湯流:食べられる保温材! エコでいいですねえ。

車:おからは、江戸時代の田畑の肥料としても貴重でした。肥料としてのおからの生産が間に合わなかったこともあったようですよ。

給湯流:浮代さんは著作のなかで「江戸時代の食はエシカル」と書いておられます。おからは、食品生産の流れのなかで無駄がなく、しかも美味しい。素晴らしい食べ物ですね!

白米食べたさに、地方の男性が江戸に殺到! 「人余り」で人件費が激安になった江戸

給湯流:江戸は男性の人口が圧倒的に多かったと聞いたことがあります。独身男性が多いと、外食産業も発展するイメージです。

近世職人尽絵詞/鍬形蕙斎/ふんどし一丁で働く江戸の男性たち! 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

車:地方の農家は、長男が田畑を継ぎます。でも弟たちは土地を継ぐことができない。「江戸にいって一発当ててやる!」とやってくる男性が多かったようですよ。

給湯流:江戸時代は「士農工商」で身分や職業が固定されていたと日本史で習った古い世代なのですが、実際は江戸に出て転職する人もいたのですね。どんな仕事についたのでしょう?

車:大工が一番人気だったようです。しかし、実際は大量の人口が江戸に流入して、人余りになりました。江戸は、薪などの燃料は高いけれども人件費は安い。それで大工になれなかった人は、発酵食品を作る仕事をしたりした。そういったことも江戸グルメの発展に貢献しました。

給湯流:そうなのですね。人件費が安くて過酷な労働条件の江戸に、なぜそんなに人が殺到したのでしょう?

車:一つは、白米もあると思います。

給湯流:白米?

浮代さんが再現した江戸っ子の晩ごはん。朝にまとめて3食分の米を炊き、夜は冷や飯に熱湯をかけ米をほぐして食べたそう。お茶は庶民には高価で、お茶漬けではなく湯漬けが主だったとか。湯漬けのお供は漬物か佃煮。

車:庶民でも白米が食べられる町は、日本の中で京・大坂・江戸しかなかったといえます。やわらかくておいしい白米を腹いっぱい食べてみたい。だから江戸に行くんだ、と。

給湯流:今は白米より雑穀米のほうが健康的で良い、みたいな風潮もありますが…。

車:今は技術が発展して雑穀も食べやすいです。でも江戸時代の農村で食べられていたひえやあわといった雑穀は、ぼそぼそで食べにくかったと思います。白米を食べるのは農村の人々の夢でした。

給湯流:食べるのが夢! そんな白米を気軽に食べることができる現代、本当にありがたい時代なのですね……。

寛政の改革のせいで、蔦重が病気にかかってしまう?

車:白米食べたさに人が流入し、世界一の人口を当時誇った江戸でした。しかし、問題もあったのですよ。

給湯流:といいますと?

車:脚気です。白米ばかりを食べている人がビタミンB1不足で、脚気にかかり亡くなりました。白米を食べる江戸で起きる病気だったので「江戸患い(えどわずらい)」とも呼ばれていたのですよ。

給湯流:蔦重も脚気で亡くなったと浮代さんの本で知りましたが、意外でした。蔦重は遊郭に通い、魚や馬肉など豪華なものも食べてビタミンを摂取していたのではないのですか?

車:寛政の改革のせいで、蔦重は脚気になったのだと思います。田沼意次の時代は、蔦重は絵師や文芸家などの接待で豪華な宴会をたくさん開いていました。そこでは白米以外にもいろいろなものを食べていたでしょう。ですが、松平定信に政権が移り贅沢禁止、宴会もなくなってしまった。ワーカホリックだった蔦重は、寛政の改革以降はきっと、にぎり飯や湯漬けなどを少ないおかずで食べて、がむしゃらに働いていたことでしょう。

ぬか漬けが、江戸っ子を脚気から救った

給湯流:なんと! 蔦重はいわば「寛政の改革に殺された」といっても過言ではありませんね。贅沢禁止で、好きな食事もできずビタミン摂取量が激減。そして早死にしてしまった。なんとも悔しい話です。

浮代さんが作った漬物。ぬか漬けが流行する前のシンプルな塩漬けスタイル

車:ちなみに、蔦重が亡くなった後の時代にぬか漬けが普及します。ぬか漬けを庶民が食べるようになってから脚気が激減したという研究もあるのですよ。

給湯流:なぜですか?

車:ぬかにはビタミンが含まれているので、ご飯と一緒に食べれば脚気が防げるというわけです。

給湯流:なるほど。ぬか漬けがもっと早く発明されていたら、蔦重は長生きしてもっとたくさんヒット商品をプロデュースしたかもしれませんね。そう思うとまたもや悔しい! 今日は蔦重にまつわる食の話、ありがとうございました。大河ドラマ『べらぼう』の食事シーンを見るときの解像度もあがりそうです。

写真:車浮代「居酒屋蔦重」より掲載

江戸レシピ&短編小説「居酒屋 蔦重」

浮代さん執筆の書籍です。蔦重の時代のグルメ事情から出版事情まで、初心者でも楽しめる内容が盛りだくさん。

2025年大河ドラマの主人公「蔦重」こと蔦屋重三郎は、北斎、写楽、歌麿などを世に出した江戸の出版王。もしも蔦重が居酒屋に彼らを招いて一杯呑んでいたら…? そんな遊び心から生まれた、10の短編小説と江戸レシピを紹介する一冊。読んで、作って、食べて、呑もう!

https://www.orangepage.net/books/1867

車浮代

時代小説家/江戸料理文化研究家。
江戸時代の料理の研究、再現(1200種類以上)と、江戸文化に関する講演、NHK「チコちゃんに叱られる!」「美の壺」「知恵泉」「歴史探偵」等のTV出演やラジオ出演多数。著書は『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)、『気散じ北斎』(実業之日本社)など30冊近く。小説『蔦重の教え』(飛鳥新社/双葉文庫)はベストセラーに。西武鉄道「52席の至福」、三重テラス「芭蕉月見の宴」等の料理監修も。

http://kurumaukiyo.com

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!