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Culture
2020.06.20

禁酒は難しい…品行方正な鎌倉武士・北条泰時も苦戦、御成敗式目にも書かれているって?

この記事を書いた人

お酒好きの皆さん、好きな日本酒はなんですか?

日本酒が盛んに作られたのは、実は鎌倉時代からと言われています。
といっても、技術面から現代のような清酒ではなく濁り酒で、度数も高くはないと言われていますが。

鎌倉時代の人々は自宅で酒を造り、職場に酒を持ち寄っては仕事終わりに酒宴をしました。

現代では「お酒を職場に持ち込むとか羨ま……いや、ダメな大人じゃん」と言われてしまいそうですが、歴史上では品行方正とされているあの人も、そんなダメな飲み方をしていました。

緊急事態は待ってくれない!

警察官や医者など、休日だからといっても、緊急に連絡が来たら出勤しなければならない職業は現在でもあります。当時は武士がその例でした。

建暦3(1213)年5月1日。仕事がオフだった北条泰時(ほうじょう やすとき)は酒宴を開いています。

しかし実はこの時、鎌倉では宴会なんてやっている場合ではないほど緊迫した状況が続いていました。

源平合戦でもその武勇を示し、幕府の重鎮として発言権も軍事力もある和田義盛(わだ よしもり)の一族が反北条氏を掲げ、武士や武器を調達しているという噂があったからです。

泰時の父、義時もこの事態を重く見ていました。一時期勘当していた息子を許して呼び戻し、決戦に備えているほどです。そんな中、泰時はなぜ酒宴を開いたのでしょう。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』には5月1日の直接の記事はありませんので、理由はわかりませんが、世の中がピリピリしていると楽しい事をして気を紛らわしたくなるのが人情というものですよね。

しかし、酒宴の翌日の夕方。間が悪い事に和田一族がついに北条の屋敷に攻めて来ました!

泰時は急いで鎧兜を身に着けて、現場に急行します。夜になっても戦は止まず、泰時は幕府の防御の要となって奮闘しました。

明け方になり、両軍に疲れが出た頃、和田一族は一時退却します。そして朝になってから再び戦が始まりました。

泰時も最前線に立ち、鎧の草摺(くさずり)に矢が突き刺さるほど奮闘します。

草摺。腿を守るスカート状の部分

夕方になり、ついに和田一族の長、和田義盛(わだ よしもり)が討ち取られ、和田合戦が終結しました。

酒は飲まないと言ったな、あれは嘘だ

戦が終わり、泰時は2日間戦い続けた武士たちを労うため屋敷に招き、酒宴をします。その時、乾杯の音頭を取った泰時はこう言いました。

「私、禁酒しようと誓ったんですよね。というのは、おとといの夜、めっちゃ飲みすぎちゃって……。

で、昨日の明け方、和田一族が攻めてきたじゃないですか。(註:攻めてきたのは夕方です)

頭が痛いのに無理して甲冑を着込んで、馬に乗ったんですけど……(註:さてはオールどころか昼間あたりまで飲んでたでしょ)

もう、二日酔いでフラフラしちゃって。(註;あ、だから1日目は前線じゃなくて後ろの方にいたんですね)

だからもう、二度と酒は飲まないと決めました!

だけど、戦っている最中に喉が渇いちゃって……誰か水を持ってませんかー? って聞いたら、近くにいた人がお酒を差し出してくれたんですよ。

その瞬間、禁酒とかどうでも良くなって飲んじゃいました!(註:現代人の皆さんはアルコールで水分補給しちゃダメですよ!)

いや~、人間の心って、その時々によって定まらないものですねぇ。これはよくない。だからもう無理に禁酒しませんよ。できませんから。あ、でも深酒はしないようにします! かんぱ~い!」

……本当に、深酒はしなかったんでしょうかねぇ。吾妻鏡ではこの翌日、さまざまな会議や調査があった事が書かれています。しかし泰時は怪我した弟の付き添いにチラっと登場しているだけで、何か作業や意見交換に参加しているように記録されてはいません……。

一応、フォローしておきますね

この記事だけ読むと、泰時がダメな大人のダメな酒飲みのように思えますが、後世では名執権と名高く、道理を弁え、品行方正で、武士にも公家にも信頼された、徳の高い人物として歴史に残っています。

彼が東国の習慣を明文化し、法律として制定した『御成敗式目』は、江戸時代まで武士が守るべき心構えとして受け継がれました。

その条文には、現在の法律と同じような事が多々書かれています。

私は読んでいて「価値観が違う過去だから」と完全に分断されているわけではなく、確実に現代にも受け継がれている部分もあるのだなぁと、歴史を実感しました。

そんな当時から現代に至るまで、鎌倉時代を代表する人格者として通っている彼が、禁酒を決意して1日も持ちませんでした。聖人君子でもない一般人が、禁酒に成功しなくても、もはや仕方ないのでは?

むしろ、禁酒宣言して1日飲まなかったら、「私は北条泰時以上に道徳観念がある」と自信を持って良いのでは?

酒の魅力にメロメロになってしまったのは、彼だけではありません。戒律で飲酒を禁止されていた僧侶も「これは般若湯という、叡知を授かる薬湯なんだ」と言って飲んでいました。

日蓮宗の開祖である日蓮上人も「人の血を絞ったぐらい真っ赤になった酒を仏に供える女性は、必ず極楽へ行けますよ」と説いています。

当時のお酒は透明ではなく、成熟させて赤くなればなるほど高価で貴重なお酒でした。……極楽って接待営業で行けるものなんでしょうかね。

そんなあの手この手を使って何かとお酒を飲む口実を作る中世の人々も、お酒に酔った勢いで他人に迷惑をかけるのは、やっぱりいけない事だと認識していました。

酒好きすぎて二日酔いになった北条泰時が書いた『御成敗式目』にも、「酔った勢いで起こしたとしても悪事は悪事、キッチリ処罰します」と書かれています。いくらお酒が好きでも、他人に迷惑をかけるような飲み方はしないように心がけたいですね。

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書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。