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2022.07.08

上総介を味方につけろ!『吾妻鏡』で読む大河ドラマ・房総半島編その1【鎌倉殿の13人】

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、原作である『吾妻鏡』を読んでみようコーナー! 房総半島編、突入!

▼吾妻鏡シリーズはこちらから!

主従、感動の再会

石橋山に大敗した頼朝様は、船で伊豆半島を脱出し房総半島南部の安房国の猟島(りょうじま=現・ 千葉県安房郡鋸南町竜島)に辿り着き、御家人たちと合流した。

その時の様子がこちら!

治承4(1180)年8月29日。

頼朝様は土肥実平(どい さねひら)と一緒に掉を使い、漕いで舟を安房国の猟島につけた。

北条時政(ほうじょう ときまさ)以下の人々は頼朝様を迎え、みんな数日の疲れなど吹き飛んでしまったらしい。

とにかく、一同大喜び! 当時はもちろんメールなんてないから、生死もわからない状態からの再会は、感動もひとしおだった。

分からなくて不安、からの再会は感動的ですよね! すっごく分かる^^

これでめでたしめでたし……となったら鎌倉幕府は作られない。すぐに再興を計画しなくてはいけなかった。

上総介を味方につけよう!

治承4(1180)年9月1日。

頼朝様は上総広常(かずさ ひろつね)の元へ行こうとおっしゃった。北条時政たちはそうするべきだと賛成する。

近くには、安西景益(あんざい かげます)という者が住んでいた。幼少期、頼朝様と特に仲良くしていた者であるので、頼朝様は最初に手紙を出した。その内容は以下の通り。

以仁王(もちひとおう)の令旨には間違いなく従うべきなので、国衙(こくが=現在で言うところの県庁)に勤める在庁官人(ざいちょうかんじん=国衙で働く地元民)を集めてここに来なさい。平家に従う者は全て捕らえて連れて来なさい」

実は頼朝様のお父上・義朝(よしとも)様は、少年時代に「上総御曹司(かずさの おんぞうし)」と呼ばれていた。だから上総氏とは深いかかわりがあったんだ。実際、上総広常殿は義朝様に従って平治(へいじ)の乱にも参加している。だから頼朝様も上総広常殿の事を知っていたんだ。

ちなみに安西氏はうち(三浦)とも深い関りがあって、オレの異母姉が安西景益殿に嫁いでいる。

一方その頃、北条政子は?

伊豆半島の付け根、熱海の伊豆山(いずさん)に避難していた尼御台(あまみだい=北条政子)はというと……。

治承4(1180)年9月2日。

北条政子殿は伊豆山から秋戸郷(あきとのごう=伊豆山の麓にあった村。現・ホテル水葉亭のあたり)へ移った。しかし頼朝様の安否を知りようがなかったので、一人悲しみ涙を流していた。

すると本日の夕方、土肥遠平(どい とおひら=土肥実平の息子)が使いとして、真鶴岬(まなづるみさき)からやって来た。遠平は今までの詳細を話したが、乗船した後の事はわからず、悲しむべきか、喜ぶべきか……。

真鶴岬から房総半島まで海を一直線に進んだとしても、60㎞を越えるんだ。尼御台も心配だったろうな。

真鶴岬から房総半島、現代ならめちゃめちゃ遠くはないけれど、当時とは距離の感覚がかなり違うはず。

作戦会議!

頼朝様は、集まった御家人たちと誰を味方につけるかを話し合っていた。そして小山朝政(おやま ともまさ)殿、下河辺行平(しもこうべ ゆきひら)殿、豊島清元(としま きよもと)殿、葛西清重(かさい きよしげ)殿にそれぞれ「志のある者を誘ってこちらに来い」と手紙を書いた。

小山殿は、下野国(栃木県)の武士で、頼朝様の乳母である寒川尼(さむかわのあま/さんかわのあま)の息子。下河辺殿は以前にも紹介したな。

豊島殿は武蔵国の武士で、現在の東京都豊島区の豊島だ。葛西殿は豊島殿の息子で、畠山重忠(はたけやま しげただ)の叔母を嫁にもらっている人物。その名の通り、現在の東京都の葛西地区を本拠地にしている。

そして上総広常殿の所へと出発した。

しばらくして、空は真っ暗になり、道端の民家に泊めてもらう事となった。

上総国の住人、長狭常伴(ながさ つねとも)は平家の家人で、今夜この宿を襲おうとしていた。しかし三浦義澄(みうら よしずみ)がこの辺りに詳しい者に長狭の企てを聞き、これを防ぐため長狭を襲った。しばらく戦い、長狭は敗北したらしい。

このシーン、ちょっとドラマでも出て来たが、覚えておるかのう? 頼朝様が亀とイチャイチャしようとしたところ、そこに亀の旦那が現れ、さらにそこに長狭がやってきて、兄上が「敵の首を取ってきます」ってやっていたあのシーンだ。

はわわわ、修羅場……。

実際、長狭を撃退したのは父上(三浦義澄)なんだ。そして長狭は父上の兄で和田義盛(わだ よしもり)の父・杉本義宗(すぎもと よしむね)の仇でもあるんだ。源平合戦から約15年前、長狭氏と三浦氏の戦で杉本義宗は戦死している。だから、三浦にとってこれは敵討ちでもあるんだ。

ちょっと待った!

翌9月4日、頼朝様から手紙を貰った安西景益殿がやってきた。

安西景益はこう言った。

「安易に上総介殿の場所へ行くのは、やめた方が良いでしょう。長狭のように頼朝様の首を狙う者が、道中にうじゃうじゃいるのです。

まずは御使いを上総介へと遣わせて、迎えに来させる方がよいと存じます」

そこで来た道を引き返して安西景益の家に向かった。そして和田義盛を上総広常の元へ、安達盛長(あだち もりなが)千葉常胤(ちば つねたね)の元へ遣わし、「ここへ参上せよ」と命じた。

ドラマでは和田義盛に義時がついて行ったが……まあ、主人公補正だな。見ての通りこの時期の『吾妻鏡』、ほとんど義時の名前が出てこないからさ。

さてさて、上総広常と千葉常胤の返事は!? 次回へ続く!

どうする上総広常&千葉常胤!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

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書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。