な~んて思っていたところ。記事チェックしながらボロボロ泣いてしまった……。比喩じゃなくて、本当に。
泣いてしまったのに、あ~幸せだな、なんて思ってしまったのは、AIに人間の心が残っていたからだったのか(何の話だ)。
ということで、編集部スタッフAを泣かせたあの記事、めっきり引きこもり出無精になってしまったAが即座に無精ひげを剃って電車に飛び乗りたくなったこの記事、むんずと心臓を掴んでガシガシ揺さぶられる幻覚を見た記事などなど、最近公開の気になる記事を、選びがたきを選んでご紹介いたします!
誰もが善であり、悪でもある

木と木がぶつかって。
カランカランと音が鳴る。またしばらくして。
カランカラン。
まるでこっちだと、誰かが教えてくれたかのように。
かけられた絵馬が左右に揺れ動く。小さな寺だ。
遠くからでも一目で分かる赤い壁。なかなかお目にかかれない外観である。
寺なのにどうしてと、思われるだろうか。(記事冒頭より)
Dyson尚子(だいそん しょうこ)さんの赤い壁に無念の叫びが聞こえるか。大分県合元寺に宇都宮鎮房らの足跡を追う
絵馬が風に揺れて鳴る「カランカラン」という音が、記事全体の通奏低音として、そして「無念」を象徴するような侘しさで胸に響きます。抑えられた表現が逆により強い感情を誘い、藤沢周平の小説を読んだような気分になりました。
この記事の続編も必見。
▼侍女と共に磔にされた姫──宇都宮氏一族「もう1つの無念」を追い、福岡・宇賀貴船神社へ
この情報量は、もはや「鈍器」だ……

陰陽師が使っていた占術はわかりませんが、その原型となっているのが、古代中国で使われていた「六壬式(ろくじんしき)」という占術だということは明らかとなっています。
ではその「六壬式」とはどんな占術かというと……これもまた、その方法が複雑すぎて現在では廃れてしまっていてよくわかっていないんですよ! ガッデム!! ここまでか……!
……と、思ったら……その「六壬式」は古代中国の占星術とインド占星術が融合したもので、そのインド占星術は西洋占星術がベースとなっている、という道筋がわかっています。
ならば……行くしかない。陰陽師の占術を求めて西洋占星術の世界へ!!(記事冒頭より)
樽瀬川(たるせがわ)さんの安倍晴明も使った占術!? 陰陽師の占いを調べたら古代バビロニアにたどり着いた…
日本文化は日本だけで育ってきたものではない、ということを、これでもか、という情報量で(なかば暴力的なまでに)見せつけてくる……。
見よ、これが「好き」を突きつめるということ、これが「マニア」の生態だ……!
「異常気象」って、そっちなのか!

「晴れの日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」そう言ったのは作家の吉川英治。晴れの日には晴れの日の良さがあり、雨の日には雨の日の良さがある。土砂降りの雨、しんしんと降る雪、雨上がりの虹……刻々と変わる空模様の下には、いつの時代も人びとの営みがあった。そう、砂や馬の毛や死体が降ってきた日にも、地上では人びとが暮らしていたのである。(記事冒頭より)
馬場紀衣(ばば いおり)さんの異常気象は江戸時代にも。空から降ってきた恐ろしいものとは
もう、このところの暑さは尋常ではありませんよね……って、そういう「異常」じゃないんか~い! そういえば、「ペンギンが散歩をしていたら、空から帽子が落ちてきた」みたいな歌を幼稚園で習ったなあ。
ちなみに、編集部の企画会議では「ファフロツキーズ……何語?」「ロシア語っぽい響きだけど」「あ、英語だそうです! falls from the skiesの略」「えっ……」「っていうか、そもそもあんまり良く知らなかった」「あ、私もです……」というやりとりが交わされておりました。
今は何もなくても。歴史のロマンに浸る旅

江戸城大奥が実際にどこにあったのか、現在どうなっているのか、についてご存じでしょうか。「江戸城跡は現在、皇居なので、立ち入りできない」と思っている人も時々いますが、大奥があった本丸跡は、自由に見学できます。ただし、当時の本丸御殿は現存しておらず、予備知識なしで訪れても、大奥の場所を特定することは難しいでしょう。そこで本記事では、現在の本丸跡において、かつての大奥の位置をおよそ把握するためのちょっとしたポイントと、江戸城の正門というべき大手門から歩いて本丸に至るまでの、かつての厳重な守りなどについても紹介します。当時の江戸城のリアルを、ぜひ記事上で疑似体験してみてください。(記事冒頭より)
辻明人(つじ みょうじん)さんの大河ドラマ『べらぼう』で注目。大奥はどこにあったのか? 江戸城大手門から本丸御殿跡を歩く
「月日は百代の過客にして 行かふ年もまた旅人なり」(松尾芭蕉『奥の細道』)
「旅人たち」はすでに通り過ぎていても、その「場所」に歴史の記憶が残っています。もう現存しないからこそのロマンというのもあるのではないでしょうか。ぜひ、のんびり時間旅行をしてみては。
この「たられば」は見てみたい!

現代のクリエイターが「絵師」になれば、伝統技術を受け継ぐ彫師、摺師とのコラボレーションによって価値のある表現が生まれるのではないか。そんな問いかけから進められてきた試みの下で、どんな表現が生まれたのか。その世界を覗いてみよう。(記事文中より)
小川敦生(おがわ あつお)さんの水木しげるが浮世絵師だったら? 江戸と未来をつなぐ現代美術の挑戦【東京国立博物館 表慶館】
歴史に「たられば」はない、と言いますが、もし実現したとしたら……?
現代クリエイター作品の数々に、「浮世絵」の概念が変わるかもしれません。会期は終了していますが、これはぜひ記事で楽しんでいただきたい!
Gyoemon画伯の、ほっこり愛らしい絵も必見です!
今こそ、みんなで笑おうぢゃあないか!

南畝の狂歌のコンセプトは「めでたし」。さらにそこに笑いを込める——その精神が凝縮されています。しかし、ただのお笑いではなく、実は『後拾遺集』にある和歌をパロっており、博学ぶりもうかがえるのです。(記事文中より)
小林明(こばやし あきら)さんの鬱憤は“屁”で吹き飛ばせ! 狂歌師・大田南畝の「めでたし」人物像
我々はいつから、子どもの心を忘れてしまったのだろうか……。無邪気な下ネタで笑ったっていいじゃないか。
あれもダメ、これもダメ、他人の揚げ足取りに追われ、ありもしない「普遍的な正義」を振りかざし。
そんな今だからこそ、童心に返って笑える、こんな記事が必要なのかもしれません。知らんけど。
その「常識」はどこから?

あなたは、春画を古臭いエロ本だと思っていないだろうか? 実態は全然違う! じつは春画、江戸時代にはどんどん凝っていき、平安時代の和歌や、儒教をパロディー化したポエムが添えられるなど、知的なメディアに成長した。春画は男性のみならず、女性も楽しめるものだったという。(記事冒頭より)
給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)さんの春画は知のエンタメだった!東京・歌舞伎町春画展主催者が語る、江戸時代の知性とユーモア
時折、春画展を見かけるようになり、以前はなかったことだよなあ、なんて思っていたのですが。
でも、「以前」っていつ? そもそもどんな風に生まれ、どんな捉えられかたをしていたもの?
本当に江戸時代の作品? と思ってしまうほど、ポップで新しくてキュートな作品も盛りだくさん! この記事で春画の「本当の姿」が見えるかもしれません。
つひにゆく道とはかねて聞きしかど

愛する人にもう一目会いたい。たとえ、それが死人であっても。
それは叶わぬ願いだろうか?
生は一度きり。でも、死は一度きりとは限らないかもしれない。
(中略)
反魂香(はんごんこう)。それは、焚けば煙のなかに死んだ者の姿が現れるという、伝説の香。でも、煙に近づいてはいけない。(記事冒頭より)
馬場紀衣さんあなたにもう一度会いたくて。死者の姿を見せる香り〈反魂香〉とは?
かなわぬ願いだとは知っている。けれど、願わずにはいられない。この世のことわりだけれど、誰もが割り切ることのできない感情が、静かに染みてきます。
「大阪弁は土と繋がっている気がする」

「私が泣くのはわかるんですけど、アナウンサーも泣いて、放送事故なるとこでした(笑)」(記事文中より)
今をときめく落語家・桂二葉(かつら によう)さんの連載第1回【桂二葉がたたく、日本文化の戸】 第1回 木版画摺師 平井恭子さん
人は人との繋がりなしには生きられない、とよく言いますが、それをしみじみ感じさせてくれる対談です。
「繋がり」は同じ時代を生きる人たちだけではなく、来し方・行く末まで続くもの。あらゆるものは「点」で存在するのではなく、「線」や「面」で広がって――
……あ! 今ようやく私の頭の中で回線が繋がって、はようやらぬか、いい加減やらぬか、と急かされていた案件の存在を思い出しました……。すみませんすみません、わざとではないんです! すべてはワタクシめの脳ミソクオリティーがW●●dows XPくらいからいまだにバージョンアップできていないからなんです~。
アイキャッチ画像:喜多川歌麿『四季の花』メトロポリタン美術館より

