Culture
2021.04.07

源頼朝も興味津々!餅を使った坂東武者の伝統儀式「矢口の儀」を再現しちゃうぞ

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

「平安以前から続く日本の伝統儀式」と言うと、やはり京都を発祥の地として想像する事が多いでしょう。しかし、日本の中心だった京都だけでなく、当時は田舎だった関東地方にも独自の儀式がありました。

そうなんだ! 一体どんな儀式なんだろう、気になる!

吾妻鏡に書かれた『矢口の儀』

源頼朝(みなもとの よりとも)が源平合戦に勝利し、鎌倉の将軍としての地位を確立していた建久4(1193)年5月の事でした。

頼朝と御家人たちは、頼朝の嫡男である頼家(よりいえ)を連れて、富士の裾野で大掛かりな狩りをしていました。そこで頼家は御家人たちの助けもあり、見事大きな鹿を仕留めました。そこで、関東の武士たちに伝わる「矢口(やぐち)の儀」を行いました。

矢口の儀? 聞いたことない!

これは武家の男子が、狩りで初めて獲物を仕留めた時に行うものです。実は京都育ちの頼朝にとって、関東の儀式には初めて見るものが多々ありました。一体どのような儀式なのかと興味深々で見守りました。

頼朝って鎌倉のイメージが強いですが、京都育ちなんですね。知らなかった!

鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡(あずまかがみ)』にはこのように書かれています。

矢口の餅を用意したのは、北条義時(ほうじょう よしとき)です。一枚のお盆の左側に黒色の餅が三つ、中央に赤色の餅三つ、右側に白色の餅三つが置かれていました。餅の大きさは、長さが八寸、幅が三寸、厚さが一寸です。このお盆は三枚用意されて、頼朝様の御前に置かれました。

こんなカンジですかね……?

最初に工藤景光(くどう かげみつ)が呼ばれて前へ出てきて、蹲踞(そんきょ)しました。

蹲踞とは、当時の武士が目上の人に対して改まった座り方です。相撲や剣道の試合前の座り方ですね。

そして白い餅を真ん中に置き、赤い餅を右側に置き直しましました。

あらあら、義時が間違えちゃったんでしょうか

それからそれぞれを一つづつ取って、黒が上、赤が真ん中、白が下になるように重ね、座っている左側の横に倒れた木の上に置きました。この分は山の神に供えたんだそうです。

そしてまた同様に三色の餅を重ね、初めは真ん中を、次は左の角を、そして右の角を齧り、矢叫(やさけび)をとても小さくあげました。

矢叫とは、矢が当たった時に、射手が叫ぶ声のことなので「ッシャァ!!」とか「うおおおお!」とかそういう感じなのでしょうか。

へぇ~、面白い! 

次に、愛甲季隆(あいこう すえたか)が呼ばれました。作法は工藤景光のと同じでした。ただし、餅の置き方は始めに置かれたとおりで、工藤景光のように並び替えることはありませんでした。

おや? もしかして作法は家によって違うのでしょうか? 頼朝様もそれに疑問を持ったようです。

次は、曾我祐信(そが すけのぶ)が呼ばれました。頼朝様は「一人目と二人目は、違う作法だったけど、三人目はどのようするのかなぁ」とおっしゃられました。しかし曾我祐信は、返事もせずに直ぐに三口食べました。そのやり方は愛甲季隆と同じでした。

頼朝様は、将軍が聞いているのだから、一旦は止まって、「こういうふうにするんですよ」と答えるべきではないのかなあ。そういう礼儀って大事じゃないの? と思い、「何も言わずに勝手に始めたのは、とても残念だ」とおっしゃられました。でも、三人に褒美として皆平等に、鞍置き馬と頼朝様が袖を通した直垂を与えました。

もしかして聞こえないフリ……?

でも、頼朝はこの儀式にとても関心を持ったようです。4か月後に、今度は北条義時の息子が初めての狩りで大きな鹿を仕留めました。義時はその様子を頼朝に報告します。そして頼朝が以前「矢口の儀」に興味を持っていた事を覚えていたのか、矢口の餅を用意して説明をしました。

そして頼朝は、ふと何かを思いつき、当番の武士たちが控えている「西侍(にしのさむらい)」という部屋に行きました。そこにいた武士たちの家に伝わる矢口の儀をやらせようと言うのです。御家人たちもノリノリで乗っかります。

しかし、矢口餅は義時の分しかなかったのでしょう。「十字(じゅうじ)」というおやつ用の蒸餅を使ってやらせました。

一人目の小山朝政(おやま ともまさ)は、頼朝様の前に蹲踞して三回これを食べて、一度目に叫び声を上げ、二度目三度目は声を出しませんでした。

二人目の佐原義連(さはら よしつら)は、三回食べて、三回とも叫びました。

三人目の金刺盛澄(かなさし もりずみ)は三回食べましたが、叫び声は出しません。

頼朝様は「なるほど、3回食べるのが共通した作法なのか。でも細かいところがそれぞれ違うとは興味深い。とても勉強になった」と満足しましたとさ。

家によって作法がちょっとずつ違うんですね。叫び声も、それぞれ「ッシャア」とか「うおぉ」とか違うんでしょうか。

私だったら横から「ちょっといいとこ見てみたい」とかコールしたくなっちゃいます。

この矢口の儀は、室町時代の文献にも記述があり、『吾妻鏡』に書かれている作法とはまた違います。それにしても興味深いですね……。

関東に住む御家人ファンとしては、これをぜひとも再現しなくては……!

▼吾妻鏡についてはこちら
眠れないほどおもしろい吾妻鏡―――北条氏が脚色した鎌倉幕府の「公式レポート」 (王様文庫)

と、いうわけで再現してみた!

とりあえず、矢口の餅は普通の餅より大きいのだろうなということは分かりますが、どれほどの大きさなのでしょう。サイズ感を確かめるべく、厚紙で作ってみる事にしました。

ええと……長さが八寸、幅が三寸、厚さが一寸。

長さが八寸(24㎝)。

この時点で嫌な予感しかしない……

幅が三寸(9㎝)で、厚さが一寸(3㎝)と……。

一個の大きさが、こうだ!

右はiPhone7

これを……3段重ね……?

……いや、無理無理無理無理! iPhoneだって口の中に入らないのに! しかもお餅で? パンケーキだってこんな大きいのないよ!?

思ってた餅と違う!!

いったいどれほどのもち米が必要なんでしょうか。念のためはかってみました。

500gを軽く超えました。これを3個。

「一般のご家庭で消費できる量じゃねえ」

思わず素の口調で呟いてしまいました。

なるほど。お祝いの席にしかやらないわけです。しかも量もさることながら、この重さ。絶対腕がプルプルしてくるし、上手く持たないとお餅がびろ~んとなっちゃいそうです。筋力やバランス感覚も重要ですね。選りすぐりの弓名人が選ばれるわけです。

家族で食べ切れる量ではないので、これは鎌倉時代ファン仲間が集まった時に作るしかないな、と思いましたが、現在はコロナ禍。大人数で集まれるのもいつになるやら……。なので……。

実際再現した人に伺ってみました

日本が誇る和菓子の老舗、「とらや」! 創業はなんと室町時代後期。豊臣秀吉が関白として天下を治めていた時代から、天皇の御所に出入りする商人として名を連ねていました。

その約500年に及ぶとらやの歴史、和菓子文化の伝承と創造を担う目的で設立されたのが「虎屋文庫」です。かつて「歴史上の人物と和菓子」として歴史書に登場する和菓子などを紹介した展示会では、この「矢口餅」も展示していました。

矢口餅(再現) 写真提供:虎屋文庫 『源頼朝と矢口餅』

これはぜひお話をお伺いしなければ! さっそく、虎屋文庫の相田さんにお話を伺ってみました!

色は食紅を使わずに再現

矢口餅は黒・赤・白の3色を使っています。現在はお餅の色付けは食紅を使いますが、鎌倉時代に食紅ってあったんでしょうか? ちなみに食紅の黒は主に竹炭、赤は紅花らしいですが……。再現の画像を見るとそこまで真っ黒でも真っ赤でもないですね。

相田さん「色紅は使っていません。黒はごま、赤は小豆を使いました」

なんと! 3つ色に3つの味が楽しめるお餅なんですね!

ごまと小豆! おいしそうだし体に良さそう!

「実は……お餅で再現したわけじゃないんですよ」

なんと!? あの写真のお餅はお餅ではない!?

相田さん「展示する関係上、お餅ではどうしても、乾燥してヒビが入って、割れてしまいますから……」

ですよね! よく考えてみればそうですね! 相田さんにはお忙しい中、再現した時に参考にした書籍なども教えていただきました。本当にありがとうございました!

お餅以外で矢口餅を作ってみよう

おかげで、作法や餅の形はなんとなく想像できました。となると、やっぱり再現してみたい!

もち米で作るのは、量・日持ちの面で一般家庭向きではありません。何か良い方法はないでしょうか。

ういろう

虎屋文庫ではういろうで矢口餅を再現したそうです。小麦粉ではなく、うるち米の粉に砂糖を混ぜ、蒸してついた生地だそうです。水分で膨らませるタイプのういろうではないので、確かに日持ちはしそうです! 試してみる価値はありそう。

寒天

寒天も簡単に作れるし、色も付けやすそう! ……でもやっぱり日持ちはしなさそうですね。ういろうよりは腹に溜まらないのでパクパクいけるとは思いますが……。そもそも寒天だと手に持ったら崩れそうです。

羊羹

では羊羹ならどうでしょう!? 冷蔵庫に入れれば1週間ぐらい持ちそうだし、ご近所におすそ分けできる間柄の人がいれば行けそうな気がします!

パンケーキ

ふわふわパンケーキなら、3㎝の厚みも作れそうです。一人では食べきれなくても、家族2~3人ならどうにかいけるでしょうか!? 問題は、矢口餅の型と、それを焼けるフライパンでしょうかね……。

パウンドケーキ

ちょっと大きめではありますが、三色パウンドケーキもよさそうですね! 味は上からココア・いちご・プレーンかなぁ……って、

だんだん餅から形も食感も柔らかさも遠くなっている……。しかも最終的に洋菓子になってるし……。

う~ん、この中だったらパンケーキが一番やりやすそうかな? 私も大きな獲物を仕留めた時は作ってみようと思います!

やっぱり矢口餅を再現するには、大人数でパーティーができる世の中になるよう、祈るしかないですね☆

虎屋文庫について

今回、大変お世話になった虎屋文庫では、東京都の虎屋 赤坂ギャラリーで展示会を行っています。次回は令和3(2021)年9月に開催予定です。詳細は決まり次第公式サイトで発表されますので、チェックしてみてください!

それからお菓子関連の論文集『和菓子』も、虎屋文庫から年に1回発行されています。美味しい日本文化について学んでみましょう!

公式サイト https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/

アイキャッチ画像:武家故実『矢開記』(国立国会図書館デジタルコレクション)

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

▼ガイドブックもチェック
鎌倉殿の13人 前編 NHK大河ドラマ・ガイド

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。