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2022.02.12

実際のところはどうだった?吉見一豊演じる提信遠と、木原勝利演じる山木兼隆の素顔【鎌倉殿の13人】

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ人物編! 今回は、伊豆目代・山木兼隆(やまき かねかた)とその後見人・堤信遠(つつみ のぶとお)! 予習というか、復習になっている気がするが、細けぇこたぁいいんだよ!(細かくはない)

まだ始まったばかりだし、大丈夫、大丈夫!(お調子者の関西人)

大河ドラマでは「分かりやすく嫌な奴」で描かれてしまった2人だが、実際のところどうだったのか……は、実はオレも知らん!! だって……オレの生まれる前で、他国の、他の家の話だし……。情報は北条目線でしか入ってこないものだからさ……。

そうなのね~

ドラマではわかりやすくムカつく悪役だったなぁ。物語上「こいつぶっ潰したれ」っていう気分にさせなきゃいけないというのも、わからなくはない。

「特に理由はないけれど、前々から邪魔だったし、とりあえず大きな戦前の景気づけでぶっ潰しとくか~☆」ってカチコミ決める主人公一家を日曜8時のNHKで見たいかというと……ねぇ?

提・山木と伊豆の関係

ドラマでは提は「伊豆権守(いずの ごんの かみ=静岡県知事代理のようなもの)」という役職についていたが、実際はそこまでスゴイ身分ではないっぽい。あくまで「山木兼隆の後見」としか『吾妻鏡』にも書かれていない。

その山木兼隆とは何者かというと、「平家であらずんば人にあらず」でお馴染みの平時忠(たいらの ときただ)の家人だった。でもなんか理由はよくわからないけれど、実の父から訴えられて治承3(1179)1月に伊豆国の山木郷へ流されたんだ。で、そこで山木の面倒を見ていたのが提だ。

つまり、伊東や北条が頼朝様の監視しつつ面倒を見ていたのと同じような関係だった。

当時は、そういう関係って、よくあったんですね。

ところがその年の11月、京都では「治承三年の政変」と呼ばれる事件が起こる。ざっくり言うと平清盛が対立関係の後白河法皇を幽閉し、朝廷の政治家をゴッソリと平家派に入れ替えた事件だ。

んで、その時に伊豆守に就任したのが、平時忠の猶子(ゆうし)平時兼(たいらの ときかね)。そして山木は流人の身から伊豆目代となった。「権守」というのは朝廷が定めた代理人だけど、「目代」というのは国守が私的に現地に派遣する代理人だ。

提・山木と北条の関係

実際の北条邸と山木邸の位置関係がこうだ。

国土地理院地図で作成

北条邸から山木邸まではだいたい3km。まぁ町内の端から端までって距離感だな。ちなみに提邸は山木邸の裏にあったらしい。

こんな距離感だから、勢力を争ってライバル同士になるのはもはや必然。山木がブイブイ言い出したら、一番締め付け食らうのは北条だしな。だからまぁ、理由はなんにせよ、最初の標的になったのもやむなしってのもわかるだろう。

距離が近いと、けんかの火種になるって、わかるような気がする。ヤンキーの縄張り争い的な?

山木兼隆役・木原勝利殿と、提信遠役・吉見一豊殿

わっかりやすい敵役、本人たちもわりと楽しそうだったな! ヘイト集める役とはいえ、主人公である義時の闘争心に火をつけたり、義時の武士としての未熟さを表す最期。「義時の人生最初のボス」として、とても印象に残る人物たちだった。 

確かに、憎々しげな悪役でした!気持いいぐらいの!提信遠の最期が壮絶だった……。

2人の死をきっかけに「坂東武者」としての道を歩むことになる義時。これからどうなる……のかはオレはよ~~く知っているんだけどさ。うん。義時のことはぜってぇ許さねぇからな!!

えっ、恨んでる!? 今のところ、頼りない感じの義時だけど、これから変わっていくのかなあ?これからの展開が、気になる!

アイキャッチ画像:『月百姿 山木館の月 景廉』(国立国会図書館デジタルコレクション

関連人物

山木兼隆
主君:平時忠(平清盛の妻の兄)

▼ガイドブックもチェック
鎌倉殿の13人 前編 NHK大河ドラマ・ガイド

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。