宮中のありとあらゆる文書を書き、大活躍した行成。嫉妬して殴りかかる貴族もいた?
給湯流茶道(以下、給湯流):行成が「平安かなの神」と呼ばれるのは、どのような点なのでしょうか?
根本知(以下、根本):ざっくり言うと行成は、ひらがなを完成させた人なのですよ。
給湯流:なるほど。
ここで、整理させていただく。「平安の三筆(さんぴつ)」という言葉をご存じの方は多いだろう。空海をはじめとする、平安初期に書がうまかったレジェンド3人。漢字が得意な人たちだ。
そして、平安後期になると「三蹟 (さんせき)」が登場する。そのメンバーは、小野道風(おののとうふう)、藤原佐理(ふじわらのさり)、藤原行成(ふじわらのこうぜい)の3名。彼らは漢字をくずして書き、いちばん最後に活躍した行成がひらがなを完成させたという。
根本:行成は書の名人として認められ、宮中のあらゆる文書や手本を書きました。たとえば紫式部が仕えた藤原彰子(ふじわらのあきこ/道長の長女)も、行成の字を手本にしたといわれています。
給湯流:大活躍した行成ですが、「宮中でいきなり殴られた」と本人の日記に記録があるとか? なぜ、行成がそのような目に遭ったのでしょうか?
根本:行成はもともと良い家柄だったのですが、父親が若くして亡くなりました。父親は上の位まで出世せずに亡くなったため、行成の家は没落したのです。
給湯流:ひどい話ですね。本人が有能でも、お父さんの地位が低いといじめられるなんて……。
根本:行成も割り切っていたと思います。「自分は出世できないけれど、字を書くのは得意。だから、文字を書く役割を全うしよう」と。粛々と仕事をした行成が、優秀だと天皇の耳に入った。それで一気に出世した時期があったのです。それを嫉妬した人もいて「お前の家は没落したくせに、なぜ高い地位につくのだ。」といわれたのでしょう。しかし、どんな文句をいわれても行成は落ち着いており、相手にしなかったと想像できます。
給湯流:それでカッとなった貴族に殴られたと。当時の平安貴族は、宮中で殴る蹴るは当たり前。かなりバイオレンスだったという説もありますしね……。
行成が同時期に生きていたから、紫式部が「源氏物語」を書けた?
根本:行成がひらがなを完成させたのは、奇跡的だったと思います。空海が唐から、筆の作り方を日本に伝えた。そして行成が生きた時期には、細く流麗な線が書けるように筆が改良されました。さらに、にじまない墨、紙も作れるようになったのです。
給湯流:行成や紫式部たちが使った筆は、現在主流の筆とは違うと聞きましたが?
根本:行成たちの時代は、芯がある「有芯筆」を使っていました。紙で芯にする毛の根本を包み、上に別の毛を被せる製法。筆圧を加えても芯があるため、一定以上に太くはなりません。(※1)
給湯流:だから、細くひらがなが書けるようになったのですね。
根本:行成が筆の技術を向上させ、ひらがなの美を完成させた。すると細く小さくさらさらと、紙にたくさんの文字が書けるようになりました。だから、同世代の紫式部が「源氏物語」を書けたのだと、私は考えています。
給湯流:それは胸が熱いです! ひらがなが無かったら、紫式部はサクサクと長文が書けなかったはず。その場合は「源氏物語」も生まれなかったかもしれない。
※1:現代は芯のない「無芯筆」が主流。技術が革新され、芯がなくても細く流麗な文字が書けるようになった。
ラッパーが思いついたフレーズをスマホに吹き込むように、平安貴族もひらがなを書いていた?
給湯流:今や書道といえば、まず型を覚えるイメージが強いですが、平安時代はぜんぜん違ったのでしょうか?
根本:そうですね。平安時代はこう書かなければいけないという文字の典型はまだ定まってなかった。だから平安貴族は自身の呼吸で自由に文字を書いていたと思います。肩の力を抜いて歌うように和歌を書いたのでしょう。平安古筆を見ると、震えや緊張の色が見られません。これは当たり前のように見えて、じつは凄いことなのです。
給湯流:根本さんのような書家のかたでも、筆をとると緊張されたことがあるのですね?
根本:豪華な清書の料紙に書くときは、緊張して手元が震えることがありました。練習の半分も力が出せないこともありましたよ。
給湯流:今も和紙は貴重ですが、平安時代の和紙はもっと貴重で高価だったはず。そんな紙にさらさら書けるとは! 平安貴族のメンタルは強かったのでしょうか?
根本:当時の貴族たちは、和歌を音楽としてとらえる意識が強かったと思います。歌いながらメロディーにのせて書くから迷いがない。
給湯流:和歌は文学の一つだと思っていたので、目から鱗です。和歌は音楽だったのか!
行成の書く「や」がすごい? 浮かれる平安貴族をビシッと落ち着かせる
根本:行成は和歌をほとんど詠みませんでした。大勢が集う場で和歌を詠んでみろといわれ、行成が何も言わずに笑われたというエピソードもあるくらいです。
給湯流:行成が和歌を詠まなかった理由は、どんなことが考えられますか?
根本:当時の和歌は音楽。「うぐいすの~」と詠んだら、早くさらっと「うぐいすの」と書きたい。しかし、行成は書き手としての自負があったはずです。音楽としての和歌を、一字一字、落ち着かせた文字にする、という思いがあったのでしょう。だから和歌を詠まず書くほうに専念した。
給湯流:宮中で殴られても、やり返さなかった冷静な行成の人柄が感じられます。
根本:具体的に見ていきましょう。行成は「や」に、特長があるのですよ。まず藤原佐理が書いたものに近い「や」をご覧ください。私が臨書したものです。
給湯流:素人が見ると…ノーマルな「や」に見えます。
根本:ですが、行成の「や」は違うのです。
根本:行成の「や」は、平行、垂直を重んじています。曲線も大きく書いて“戻り”が多い。落ち着いてゆっくり「や」を書いています。
給湯流:素人がみたら癖が強い「や」です。しかしこの「や」には、ウキウキと歌い筆を滑らせてしまう貴族たちへ、大事なメッセージがこめられているのですね。
宮中の文化、「雅(みやび)」を作った行成
根本:日本の伝統文化は、一度プリミティブな起こりがあった後に、いったん型として落ち着くという流れがある。そしてまた型を破って…と変化していきました。たとえば、紀貫之は和歌を落ち着かせた。万葉集のような素朴だった和歌から、掛詞(かけことば)、過去の作品へのオマージュ…と型を作りました。
給湯流:たしかに。
根本:恋の和歌であからさまに「好きです」なんて詠んではだめ、あれこれ言いたいのはわかるけど落ち着きなさいよ、とまとめたのが紀貫之。そして、書き言葉、平安かなを落ち着かせたのが、藤原行成なのです。
給湯流:貴族たちが「あ、いい歌思いついた~。ふーんふふん♪」と、鼻歌のように書いてしまうひらがなを、しっかりした型にしたのが行成!
根本:紀貫之と行成が和歌を落ち着かせ、宮中の美である「雅(みやび)」を作ったのです。天皇が国家をまとめていく際に、とても重要なポイントだったと思います。
給湯流:行成がそんな偉業を成し遂げていたとは、知りませんでした!! 今日は貴重なお話をありがとうございました。
根本知
博士(書道学)。2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」題字揮毫および書道指導。立正大学、大東文化大学等で教鞭を執る傍ら、腕時計ブランド「GrandSeiko」への作品提供(2018)やNYでの個展開催(2019)など創作活動も多岐に渡る。 無料WEB連載「ひとうたの茶席」(2020〜)では茶の湯へと繋がる和歌の思想について解説、および作品を制作。
「平安かな書道入門」
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」題字揮毫および書道指導を担当した気鋭の若手書道家による、平安時代の「かな書道」入門。紫式部も書いた美しい〈平安かな〉の世界へ優しく導きます。
筆について、紙についてといった初歩的な事柄から、平安時代の代表的な古筆と伝承筆者の紹介、実際の筆の持ち方、運筆についてなど、鑑賞と実践の両面から「平安かな書道」の魅力を一般読者にもわかりやすく解説。図版・写真等全ページオールカラーで掲載。
書道の専門書と思いきや、楽しいコラムも充実しており、書道をやっていない人が読んでも面白い! コラムでは行成をはじめ、紀貫之や西行のエピソードも満載。美しい平安かなを眺めているだけでも楽しい。ぜひ全・平安貴族ファンにおすすめです。