大好評?『慈光寺本承久記』を読んでみたシリーズ! いよいよ軍記物の華、戦シーンへ突入です!!
第1回:序文が…終わらないッ…!鎌倉殿の13人の予習に『承久記』を読んでみたら、序文からスケール半端なかった!
第2回:2022年大河ドラマの予習に『慈光寺本承久記』を読み進めてみたら、心の中の乙女が射抜かれた
第3回:伊賀光季の運命やいかに?『慈光寺本承久記』を読んでみたら坂東武者にも繊細な所があるんだね!
前回のあらすじ
北条義時のドヤ顔にムカついた後鳥羽上皇は、とうとう義時追討作戦を実行することに! 手始めに京都にいる義時の義兄、伊賀光季(いが みつすえ)を討ち取る事に!
しかし、その事を知ってかしらずか、伊賀光季は夜通し大宴会を繰り広げていた!! はたして伊賀光季の運命やいかに!
夜が明けて……
承久3(1221)年5月15日の朝になりました。伊賀邸は飲んだくれた武士と遊女の大惨事となっています。そこに後鳥羽上皇の側近である藤原秀康(ふじわら ひでやす)がやってきて、「後鳥羽上皇がお呼びですので、来てください」と呼び出しました。
しかし伊賀光季はこれを怪しみ、家来の治部光高(じぶの みつたか)を呼び出し、様子を見に行かせます。光高が後鳥羽上皇の御所に向かっている途中、武装した武士たちが見えました。「あれは何か」とそこら辺にいた若者に尋ねると「伊賀光季を討ち取る後鳥羽上皇の兵ですよ」と答えが返ってきました。
光孝は慌てて引き返して光季に報告しましたが、光季は少しも慌てた様子をみせませんでした。
「この光季、簡単に討たれてはやらんぞ。まずは遊女たちを逃がそう」
そして寝ている部下や遊女たちを起こし、遊女たちには「形見に持っていけ」と高価な調度品をお土産に渡し、酒を振る舞いました。
戦支度
遊女たちを逃がしたあと、戦える部下たちを集めました。全員で85人います。
「私はお前たちを従えて、敵中を突っ切り、鎌倉まで逃げるべきかもしれん。けれど、北条義時殿の家人たる者が、敵に見逃してもらって生き延びたと思われるのは恥だ。鎌倉へ帰ることはできぬ。私は最後の一騎となっても戦って、ここで死ぬつもりだ。
私に長年の情を感じてくれているのであれば、共に戦い、死出の山路に向かおう。もし命が惜しいのであれば、遠慮なく逃げろ。咎めはしない」
おおー! カッコイイ! これで部下たちも士気が高まる……! と思いきや、1人また1人と逃げていきます。85人もいた部下たちはいつのまにか29人になっていました。
それでもまだ逃げようとする者がいるので、治部光高が走って門を閉めてしまいました。
「恩知らず者が逃げ出しやがった。お前らまで逃げるってんなら閉じた門を越えてみやがれ! それでもこちらに向かって来る後鳥羽上軍からは逃げられねぇんだからな!」
そして、伊賀光季のもう1人の忠臣・政所太郎(まんどころの たろう)が伊賀氏先祖伝来の立派な鎧を持って来ました。伊賀光季はそれを見て言います。
「太郎よ、これは負け戦なのだ。家宝の鎧を着て戦ったところで、敵に奪われてしまうだろう。こんなものはこうしてくれる!」
と、太刀で鎧を繋ぐ紐を切ってバラバラにし、庭に放り投げて泥まみれにしてしまいました。なかなかのヤケッパチっぷりですね。治部光高はそんな伊賀光季を尊敬の眼差しで見つめて言いました。
「残った29騎、光季殿とご子息の寿王(じゅおう)殿を合わせて31騎。これで向かい来る敵を突っ切って、後鳥羽上皇の元へ行き、死力を尽くして戦いましょう! 負けるのならば御簾の隙間から御座に入って、上皇の膝を枕にして自害してやりましょう!」
また後鳥羽院の御所を戦場にしようとする! 坂東武者、すぐ御所に血穢れ・死穢れ出そうとする! そういうとこー!
しかし伊賀光季は冷静に「お前や太郎だけはやる気満々だけど、門を開けたら残った者はみんな逃げちゃうだろうし。だったらここで戦って自害するよ」と言います。咎めはしないと言ったものの、やっぱり半分以上の部下が逃げてしまったことはショックだったようですね。
戦装束ファッションショー
さて、戦と言えば武具!! 日本の軍記物も、武具を細かく描写しています。
伊賀光季の戦装束
伊賀光季の戦装束は「寄懸目結(よりかかりの めゆい)の小袖」「地白の帷子(かたびら)」「大口の袴」のみ。
小袖というのは、着物の下に着るインナー用の着物です。洋服で言うならTシャツでしょうか。寄懸目結という柄が入っていました。
帷子というのは、鎖を編み込んだ「鎖帷子」という武具がありますが、日本で使われるようになるのは室町時代だそうです。なのでこの帷子は、夏用に着る麻の着物のことです。そして「大口の袴」は、裾が大きく広がった赤い袴で、正装の1つになります。
つまり現代的な洋服に例えると、白い無地シャツの下に柄物のTシャツがチラリ……下はスーツのスラックス。クールビズ的な、なかなかのお洒落さんですね。でも戦闘向きではなさそうです。
「白鞘巻(しろさやまき)の刀」を差し、16本の矢を挿した胡籙(やなぐい)を両腰に取った。
「白鞘巻の刀」とは銀の金具で飾った短刀。胡籙とは、矢を入れる簡易的な道具です。ちなみに矢を入れる正式な武具は「箙(えびら)」といいます。
つまり、現代風に言えば、ドスとピストル(装弾数16発なのでCz75あたりですかね)……あ、いきなりその筋の人っぽくなってきました。
まぁ、そんないでたちで、さらに矢の束を解いて立て置き、替えの弓を3張用意しました。もうこれでいつ敵が来ても迎え撃てます。
寿王の戦装束
そして伊賀光季は息子の寿王(じゅおう)にも、戦支度をさせます。寿王は今年14歳で元服したばかりの、幼さが残る少年です。
小連銭(しょうれんぜん)の小袖に、地白帷子、黄色の大口袴に萌黄の糸で束ねた腹巻。紫地に白く紋を出した染革の籠手(こて)。
現代風に言うと、小銭模様のTシャツに白いシャツとスラックス。ここまではお父さんとオソロですが、腹巻(鎧の腹部分)をつけているので、防弾チョッキを着ていますね! 籠手は弓を引くために裾をまとめて動きやすくすると同時に、弦を引きやすくするグローブですので……ジャージと手袋ですかね? 動きやすさ重視!!
そして短刀とピストル(胡籙)をつけて、紅の扇を持って柱の陰に隠れました。
いよいよ戦闘開始
さて、準備完了した伊賀光季たちから、塀越しに敵の旗が見えました。
「少しでも長く生き延びたいと門を閉めていたと言われたら、恥だ。門をあけよ」
伊賀光季の言葉と共に門が開かれ、敵が入ってきます。そこにいたのは、伊賀光季の親友である三浦胤義でした。
というわけで、本日はここまで!!
イラストでわかる 武士の装束〈サムライファッション〉 (超描けるシリーズ)
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)