さて。令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をより深く楽しむために、ヤマトタケルの東征から平治(へいじ)の乱まで紹介してきたが……今回からはいよいよ、ドラマの原作『吾妻鏡(あずまかがみ)』を読んでみよう!!
というわけで、まずは本文に入る前に、軽くウォーミングアップ『吾妻鏡』とはなんぞや? というところから。
『吾妻鏡』とは
『吾妻鏡』とは鎌倉時代中期に編纂された、鎌倉幕府公式の歴史書だ! 治承4(1180)年4月から文永3(1266)年7月までの、87年間が記されている。
日記文化を持たない東国の記録としては一級品の史料ではあるが、編纂スタッフが北条家家臣によるものなので、北条家バイアスがかなり強い。おまけに所々欠落している部分もあるので、正確性に疑問も残る。
とはいえ、いくら北条バイアスが強いものではあっても、白いものを黒いというような類の史料ではないし、東国の記録は他にあまり残っていないので、上手く付き合う事が大事だな!
『吾妻鏡. 1』 出展:国立国会図書館デジタルコレクション
源頼政殿の挙兵
『吾妻鏡』の始まりは源頼政(みなもとの よりまさ)殿が挙兵する所からだ。ドラマだと第4話だな。
治承4年(1180)4月9日。
源頼政殿は、平清盛殿を打倒すべく前々から準備していた。しかし私的な計略では宿願を果たすのは難しいと思い、今日の夜になって子息・仲綱(なかつな)殿を連れて密かに以仁王(もちひとおう)の元へ参られた。
頼政殿は「源頼朝様以下の源氏たちに呼びかけて、平家一族を討ち、以仁王こそが天下を治めるべきである」と申し上げた。
そこで以仁王は、近臣の宗信(むねのぶ)に仰せて令旨(りょうじ)を発行した。そして検非違使(けびいし)の源行家(みなもとの ゆきいえ)殿が京都にいたので、「この令旨を持って東国に向かい、まず源頼朝様に知らせた上で、他の源氏に伝えるように」と言い含めて八条院蔵人(はちじょういんの くらんど)に任じた。
読み解くポイントになるところを太字で表記してみたぞ。
ポイント1. 以仁王の挙兵に大義名分はなかった!?
まずこの「私的な計略」というのは平清盛の孫である、安徳天皇を排除して自分が天皇になるということだ。
以仁王からしてみれば、本来なら自分が皇太子になるはずだったのに、平家のせいで外されたという思いがあったことだろう。しかし明確に「天皇を排除して自分が天皇となる」と宣言してしまえば、すなわち天皇への反逆罪となってしまうのだ。
頼政殿は、さすがにそれはマズイと思ったので、平家追討を前面に押し出そうとしたのだな。
ポイント2. さっそく発揮! 『吾妻鏡』名物・アズカガ・ヨイショ!
次に、頼政殿も以仁王もやたら頼朝様を頼りにしているっぽく書かれているけれど……。まぁ、オレが言うのもなんだけど、これが『吾妻鏡』の名物、アズカガ・ヨイショだな。ぶっちゃけ、この時点で家格的には頼政殿の方が上だし、持っている兵力なら武田殿の方が上だったろうし……。
『吾妻鏡』は後世に書かれているので、頼朝様が鎌倉幕府を開いたという結論ありきで書かれている。そういうところがあるってのを心にとどめておいてほしい。
ポイント3. 令旨?
今までも何回か言及したが、以仁王は皇太子ではないので、本来「令旨」を発行できる身分ではない。
けれど、平家のせいで皇太子になれなかったので、平家追討の命令を「令旨」と言い張るのも……こう、察してやってほしい。
ポイント4. 八条院蔵人
行家殿が賜った官職「八条院蔵人」。八条院とは後白河法皇の異母妹の暲子(しょうし/あきこ)内親王の事だ。未婚ではあったが、以仁王の養育者だった。そして「蔵人」とは秘書的な役職だ。
八条院の秘書となって何ができるのかというと……。全国240カ所にある八条院の領地に行き放題! 泊まり放題! 食べ放題! ってこと。全国に散らばった源氏たちの元へ行くには都合が良いってことだな。
ちなみに八条院の秘書となる前に行家殿がついていた「検非違使」とは、京都の警察官みたいなものだ。オレも検非違使だったよ!
以仁王の令旨
以仁王の令旨は源行家殿によって、北条のもとにいる頼朝様へと届けられた。
治承4(1180)年4月27日
以仁王の令旨は、今日、源頼朝様がいる伊豆国の北条の館に到着した。源行家殿が持って来たのである。頼朝様は水干(すいかん)に着替え、まず石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の方角へ遥拝し、謹んでこれを開いて読んだ。行家殿は、甲斐国や信濃国の源氏たちにも知らせるために、すぐに出発した。頼朝様は藤原信頼(ふじわらの のぶより)卿に縁座して、去る永暦元(1160)年3月11日に伊豆国に流された。嘆くこと20年の歳月を経て、32歳となっていた。
近頃は平清盛が天下を支配している。言う事を聞かない近臣を刑罸し、さらには後白河法皇を鳥羽離宮に閉じ込めてしまった。法皇は怒り、悩んでおられる。そんな時に、この令旨が届いたのだ。ということで、正義のために兵をあげることにした。これぞ天の思し召しであろう。
ここにいるのは、平直方(たいらの なおかた)の五代の孫、北条時政という、伊豆国の豪傑である。頼朝様を婿に迎えて、無二の忠節を表明していた。頼朝様はまず最初に時政を呼んで、令旨を開いて見せた。
ポイント5. 水干って?
水干とは、武士の礼装のこと! つまり頼朝様は、わざわざ正装に着替えて令旨を届けに来た行家殿を迎えたということだ! ドラマでもきちんと着替えて受け取っていて、鎌倉ファンは大喜びだった。
ポイント6. 石清水八幡宮
石清水八幡宮は、現在も京都府八幡市にある神社。河内源氏一族の氏神だ! 鶴岡(つるがおか)八幡宮が鎌倉にあるのも、頼朝様が石清水八幡宮を崇敬していたからだな!
ポイント7. 藤原信頼卿に縁座して
平治の乱のことだな。詳細は以前の記事を参考に。
源頼朝も参加!大河の原作に直結する戦「平治の乱」を3分で解説【鎌倉殿の13人】
ポイント8. 32歳?
頼朝様は 久安3(1147)年4月8日生まれ(と、吾妻鏡は言い張っている)。この4月27日時点で満年齢は33歳。数えで34歳だ。『吾妻鏡』編集者の単なる間違いだろうか。こういうチョイチョイしたミスもあるのが『吾妻鏡』!!
ポイント8. 時政ヨイショ?
まぁ、頼朝様がいるのが北条だから、最初に時政に見せるのはさほど不自然ではないとはいえ、伊豆の豪傑とか、無二の忠節とか……。ちょーっと「アズカガ・ヨイショ」が入ってるんじゃねーの? 怪しい……。
令旨の内容
どんな令旨だったのかは、『吾妻鏡』にも書かれている。
これは命令である。東海道、東山道、北陸道諸国の源氏とその兵たちへ。これに応じて、早く清盛とその一族たち反逆者を追討すること。これを、源仲綱が書き記して命ずる。
以仁王の勅令を受けて命ずる。清盛と宗盛たちは、権力を持って暴徒を率いている。国家を滅ぼしかけていて、人々は悩み混乱している。
日本中の領地を奪い、後白河法皇を幽閇し、貴族たちを流罪にした。人を殺し、流罪にし、良い人を捨て、牢屋に入れ、財産を盗み、領地を我が物とする。官職をはく奪し、仕事を押し付け、手柄のない身内に恩賞を出し、反対するものは無実の罪を着せた。また、諸寺の高僧を逮捕して、修行中の僧を禁固刑にした。そして比叡山へ納めるための財産を奪って身内に配り、謀反人である自軍の兵糧とする。
清盛は天皇の血筋を絶やそうとしている。貴族の首を切った。天皇に逆らい、仏教の戒律を破り、歴史を途絶えさせる者である。
この天地すべてが悲しみ、民衆たち全員が憂いている。よって私が後白河法皇の第2皇子として、蘇我入鹿を討った天武天皇のように、王位を奪った輩を追討する。聖徳太子のように、仏教を破滅させるものを討ち滅ぼそう。ただの人間の力だけでなく、天の助けも借りよう。
これによって、三種の神器のご利益があるならば、全国の武士たちの力を合わせることが無いわけがない。
それならば、源氏・藤原氏・東海道・東山道・北陸道の諸国の勇士たちよ、私に協力して平家を追討せよ。
もし、協力しないならば、清盛と同じように死罪・流罪・追放・禁固の刑に処されることとなるだろう。
もしこの戦に勝ち、功績があった者については、まず諸国の役人に届け、私が即位した後に必ず恩賞を賜ろう。諸国の役人はこれを承知して事務処理をするように。
治承4(1180)年4月9日 前伊豆守正五位下源朝臣仲綱(さきの いずのかみ しょうごいのげ みなもとの あそん なかつな)
こんな感じで、清盛殿がいかに身内贔屓で酷い政治をしていたかをあげ連ねた上で、正当なる自分の味方をするようにと訴える内容だ。
かといってこの文章を鵜呑みにして「平清盛は悪政をしいた」と断じるのはちょっと違うかな~。いわゆる「プロパガンダ」って奴だからな。
それに以仁王の令旨の内容が本当にこの通りだったかというと怪しいらしい。
ともかく、この令旨を貰った頼朝様はどうしたかというと……次回に続く!!
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「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)