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2022.05.01

決戦日は占いで!ドラマと併せて原作の吾妻鏡を読んでみよう!【鎌倉殿の13人】

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、原作である吾妻鏡を読んでみようコーナー!

▼今までの流れはこちら!

公文書なのにヨイショだらけ!?『鎌倉殿の13人』の原作『吾妻鏡』冒頭を解説!
どうする頼朝!『鎌倉殿の13人』の原作『吾妻鏡』挙兵前夜までを解説!

さて、頼朝様はついに打倒平家に立ち上がる決意をした。とはいっても戦はその準備も肝心だ!

戦の前

治承4(1180)年7月5日、晴れ。風は静か。

頼朝様は昨日手紙を出して、走湯山(そうとうさん)の住職・文陽房覚淵(もんようぼう かくえん)を呼び出した。今日、覚淵は北条にやってきた。

頼朝様がこの高僧と話したことはこの通り。

「私は、心の底にとある思いがあります。法華経を千回読んだらそれをしようとしていました。けれど事態が急変して行動を先延ばしすることが難しくなってきました。よって簡易化した読経800回を仏に捧げて願掛けをしようと思っていますが、どうでしょうか?」

覚淵は「千回に満たなくても、仏に捧げる気持ちがあれば、仏の心に背くことにはなりませんよ」と答えてすぐに香を焚いて花を供えて、仏に祈った。

「頼朝様はもったいなくも、八幡神に一番近い氏子です。石清水八幡宮で元服した源義家(みなもと よしいえ)公の血を受け継いで、武士たちを率いて平家を倒す運命にあります。これは法華経800回のご利益です」とかなんとか。

これに頼朝様はとても感激し、儀式を終えると藤原邦通を通してお布施を渡した。

夜になって覚淵は帰ることとなり、門の外に出ようとしたとき、頼朝様が呼び戻し、「世の中が落ち着いたら、ここ蛭島(ひるしま=現・静岡県伊豆の国市蛭ヶ小島とされている)を今日のお布施として寄付します」と伝えた。覚淵はとても喜んだ。

うん……頼朝様は蛭島に流されていただけで所領してたわけじゃないのに、平家に勝ったらここが自分のものとなり分配できるとまで計算していたのか……。取らぬ狸のなんとやら、でもまぁ戦の前ではよくあること。

よくあることなんだ!? ぽんぽこり~ん。

ちなみに覚淵殿はドラマにもちらりと出てきたな。北条一家のオナゴたちを匿った坊さんだ。その後7月10日に、周辺の源氏の家人たちへ頼朝様の文を届けていた安達盛長(あだち もりなが)殿が帰って来る。

治承4(1180)年7月10日
安達盛長が言うには「まず相模国内だけでも、多くの者が頼朝様の命に従いました。しかし波多野義常(はたの よしつね)、山内首藤経俊(やまのうちのすどう つねとし)たちは命令に従わないばかりか、悪口を言いました」とかなんとか。

山内首藤経俊殿の悪口はドラマでも描かれていたな。波多野義常殿はドラマには出てきてないが、頼朝様の異母兄・朝長(ともなが)殿の母方の伯父。

波多野義経殿の父は、頼朝様の父・義朝(よしとも)様の家人ではあったが、ちょっと義朝様とは仲が悪くなってしまってな……。それが子の代まで響いたんだろう。

仲間ではあるけど、完全な一枚岩じゃなかったんだなあ。

そして7月23日には、昌長(まさなが)という神主が頼朝様の元へやってきた。彼は波多野殿の世話になっていたのだが、昌長は頼朝様の力になりたかったので意見が合わなくなってやってきたそうだ。

大庭景親登場!

治承4(1180)年8月2日。

相摸国の住人(すみびと)、 大庭景親(おおば かげちか) たちは、以仁王(もちひとおう)の挙兵のことで京都に行っていたのだが、帰ってきたとかなんとか。

中ボス登場だな! たったこれだけの記述だが、頼朝様や北条たちに走った緊張が伝わるようだ。

知識がないと、その辺の心の動きが分からな~い!泣

山木の領地の図面が欲しい!

治承4(1180)年8月4日。

山木兼隆(やまき かねたか)は伊豆国の流人である。父の訴えによって、流されてきた。しばらくここで過ごし、平清盛の権威を借りて、周辺に威張り散らしている。彼は元々平家の一族なのだ。

山木は国の敵である。しかも私的な恨みもある。だからまず山木を攻めることにした。

しかし山木の居場所は要害となっているので、攻めるにも引くにも、人でも馬でも苦戦するだろう。ここの地形を図面にするため、前もって藤原邦通(ふじわらの くにみち)を送り込んだ。

邦通は京でも芸達者な遊び人である。縁があって安達盛長の推薦で、頼朝様のもとへ来ていた。

何かしらの理由をつけて、山木の屋敷で行われた酒宴に邦通が参加し、歌を披露した。山木は邦通を気に入り、数日間逗留させた。その間邦通は山・川・村・里に至るまで、詳細に図面に起こし、本日帰って来た。

頼朝様は北条時政を静かな場所に呼んだ。そして邦通を招き、その図面を中央に置いて攻める道や、撤退する道を細かく指示した。

ちなみにその絵の上手さは、まるでその場に立っているほどだったという。

ものすごくリアルな「芸は身を助く」ですな!

このシーン、ドラマでもやっていたな! さらに印象深い占いのシーンも『吾妻鏡』にある。

決戦日は占いで!

治承4(1180)年8月6日

邦通と昌長が頼朝様の御前で占い、8月17日の寅卯の刻(夜明け前)に山木を討ち取ると決めた。

其の後、 工藤茂光(くどう もちみつ)、土肥実平(どい さねひら)、 岡崎義実(おかざき よしさね)、 宇佐美祐茂(うさみ すけもち)、 天野遠景(あまの とおかげ)、 佐々木盛綱(ささき もりつな)、加藤景廉(かとう かげかど)以下、今周りにいる者のうち、特に命を惜しまず頼朝様に従う勇士たちを、一人づつ静かな場所に呼んで、合戦の事を相談した。

「まだ誰にも言ってはいないが、お前を一番頼りにしている」と全員に丁寧に伝えたところ、みんなテンションがブチ上がって、やる気が溢れてきた。

これはみんなの士気を高めるための作戦である。本当の事は、北条時政しか知らないとかなんとか。

はいっ! 出ました! 頼朝様のキメ台詞「お前だけが頼りだ」! ドラマでは握手やハグまでしていて……あそこまでされちゃ、頑張るしかないよな!

これ、バレたら逆に一大事なんじゃ……。

ちなみに、宇佐美殿は工藤祐経(くどう すけつね)殿の弟。天野殿も伊東氏の遠縁で工藤茂光殿の娘を妻にしている。天野殿の家は頼朝様がいた屋敷に近かったので、ちょくちょく遊びに来ていた。

加藤殿は元々伊勢の武士と言われている。父の代で伊豆へやってきて、工藤茂光殿の協力を得て伊豆の武士となった。ちなみに光員(みつかず)という兄がいて、それぞれ「加藤太(かとうた)」「加藤次(かとうじ)」っていう、やたらカッコいい通称があるぞ!

集結する御家人!

治承4(1180)年8月9日。

近江国の住人に、佐々木秀義(ささき ひでよし)という者がいる。平治(へいじ)の乱の時、源義朝(みなもと よしとも=頼朝様の父)様に従い、戦場では見事な戦いっぷりを見せた。

頼朝様が失脚した後も、源氏への古くからの忠義を忘れず、平家の権威に従う事はなかった。

(中略)

今日、大庭景親が、秀義を招いて相談した。

「私(景親)が京にいる時、 平家の家人・伊藤忠清(いとう ただきよ)殿に会った。忠清殿は一通の手紙を開いて私に読み聞かせてくれたよ。それは長田忠致(おさだ ただむね=義朝を討ち取った者)からの手紙だった。

その手紙によると、『北条時政、比企掃部允(ひき かもんのじょう=比企尼の夫)は頼朝様を将軍として平家に反逆しようとしている』と。

忠清殿は読み終えてこう言った。

『これは常識を超えたことだ。以仁王の事件の後、諸国にいる源氏たちの動向を探れと命じられていたが、その調査の最中にこの手紙が来た。よほど問題があるんじゃないか? 早く清盛殿にお知らせすべきだ』

私(景親)はこう答えたよ。

『北条はすでに娘が頼朝に嫁いでいるが、その意図はわからない。比企はもう死んでいる』とね。

私はこの話を聞いてからというもの、心の中で慌てている。あなたとは長年仲良くしてきたから、こうして漏らしているのだ。あなたの息子たちは頼朝に仕えてるんだろう? 何か考えておいた方がよい」とかなんとか。

これを聞いて佐々木秀義は驚き、心中穏やかでなくなり、この事以外に考えられなくなった。これ以上詳細を聞くこともできなくて、帰って来たとか。

ドラマで強いインパクトを残した佐々木のじいさん! 実は裏ではこんな事があったのだな。とりあえず自分だけでも頼朝様に伝えに来たのだろうか。……ドラマでは伝わってなかったがな!

さて、人がぞくぞくと集まってきたところで……次回へ続く!

大きく動き出しそうな気配。次回を待て!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

初めて吾妻鏡を学ぶ方にもおすすめです↓↓

吾妻鏡 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。