日本文化の入り口マガジン和樂web
9月21日(火)
この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん(一休宗純)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
9月20日(月)

この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん(一休宗純)

読み物
Culture
2021.06.19

藤原秀衡とは?人物解説!田中泯演じる男は、黄金の都の王だった【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

この記事を書いた人

今回解説するのは、奥州(おうしゅう=東北地方)にあった黄金都市「平泉(ひらいずみ)」の長、藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)殿! ……と、いってもなぁ……。秀衡殿の代の頃の奥州は坂東から見たら、ほぼ別の国って認識でさ。奥州は奥州で、京とも板東とも違う歴史や文化があったんだ。

ちなみに戦国〜近世あたりに詳しい者は「ん? 奥州って陸奥国(青森県+東北太平洋側)のことじゃないの?」「東北地方をさすなら奥羽じゃないの?」と思ったかもしれん。

でも奥州藤原氏がいた時代は、東北地方全域が奥州藤原氏の支配圏だったから、奥州といえば東北地方の事だったんだ。ということを踏まえて、解説の始まり始まり〜!

おっと、紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(みうら たねよし)が語る、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

奥州藤原氏とは?

まず、藤原秀衡殿の一族である、奥州藤原氏について。藤原という姓でわかるように、元々は京の藤原氏の庶流だ。しかし、なぜ奥州に移住したか、それがいつ頃なのかははっきりとはわからない。

奥州には、俘囚(ふしゅう)と呼ばれる奥州や蝦夷の先住民のうち朝廷に従った者たちがいた。平安中期頃、奥州に住んでいた藤原経清(ふじわらの つねきよ)が、俘囚長・安倍頼時(あべの よりとき)の娘と結婚し、生まれたのが奥州藤原氏の初代、清衡(きよひら)だ。

ちなみに俘囚の安倍氏と陰陽師の安倍氏は同じ字だが関係ない。

奥州内での勢力争いに朝廷や板東武者が加わって、「前九年の役(ぜんくねんのえき)」「後三年の役(ごさんねんのえき)」という大きな戦があった。この2つの戦は源氏にも板東武者にも超重要な戦なんだが、今回は割愛する。

この戦に最終的に勝った清衡が、奥州藤原氏として東北地方に君臨する事となる。その孫が、今回紹介する藤原秀衡殿だ。

奥州ってどんなところ?

清衡は朝廷に砂金や馬を贈って信頼を得て、朝廷は清衡を「事実上の奥州の支配者」として認めた。そして朝廷から赴任してくる役人をもてなし、全面的に強力する姿勢を見せる。

そのため朝廷の政争に参加せず、源平合戦でも中立国として平穏な暮らしを守り、独自の文化を保ってきた。

その文化の代表例が、平泉(ひらいずみ)の中尊寺(ちゅうそんじ)にある金色堂。平泉は現在、町全体が世界遺産となっているので、観光で訪れた者も多かろう。黄金のお堂に代表される黄金文化を支えたのは、5つの金山! 1つでもあれば強国なのに、5つも持ってるんじゃなぁ……その財力の凄まじさは想像の域を超えていたんだろうな。

奥州文化には板東武者も思いっきり影響を受けた。鎌倉幕府を代表する寺の1つ、永福寺(ようふくじ)は中尊寺を真似たものだし、板東に運慶一派の仏像ブームが訪れたのも奥州文化の影響だ。まぁそこら辺の話も今回は省く。

そんな奥州藤原氏の全盛期を築いたのが秀衡殿だ。

奥州藤原氏と源義経

さて、奥州藤原氏といえば源義経殿の後ろ盾として有名だ。ではなぜ奥州藤原氏が義経殿の後ろ盾になったのか……は、実ははっきりとは分からない。

幼い頃に鞍馬山に預けられ、弁慶と出会い、金売吉次(かねうり きちじ)に連れられて奥州を目指す……この一連のできごと、全て物語にしか記されていないのだ。

まぁ、その信ぴょう性は脇においとくとして。仮に少年時代の義経殿が平家の手の及ばない場所へ逃げようと考えたら、どこになるんだろうな。

確かに奥州も源氏の先祖に恩はあるんだけど……。奥州に向かう途中にも源氏の家人の家はあったろうし、そこを頼らなかったのはなぜかのう?

京育ち&寺育ちであまり東国の細かい情勢がわからなかったのか、東国に点在する親や先祖の縁を頼れない理由があったのか……。もしも義経殿が頼ったのが奥州ではなく板東武者の誰かだったら、さてどうなったことやら。

藤原秀衡役、田中泯殿について

朝廷、鎌倉、そして平泉。日本を大雑把に分けた1角を担う奥州藤原氏。その全盛期を築いた覇者、藤原秀衡殿を演じるのは……世界的ダンサー、田中泯殿!! あ、もう、宣材写真の時点で、異文化の王感がすごい……。

ちなみに田中殿は、和樂webが推している映画『HOKUSAI』で、老年期の葛飾北斎役を演じている。

「九郎よ、どうせ止めたとて、行くのであろう」

「東北」ということも僕にとって大きな鍵になることです。義経がらみの民俗芸能が多く残っている。僕はダンスを生きてきた人間なので地域に残っている伝統芸能、民俗芸能をたくさんみてきましたし、とても興味を持っています、いや、興味以上と言ってもいいかもしれません。

NHK_PRサイト 田中泯のコメントより抜粋

奥州には坂東とはまた違う文化がある。それをダンサーとして表現するのは、「俳優」が演じるのとはまた違った表現になるだろうな。それこそ「異文化の王」に相応しいのではないだろうか……。田中殿の藤原秀衡、ものすごく楽しみだな!

アイキャッチ画像:菊池容斎『前賢故実』巻第7 藤原秀衡(国立国会図書館デジタルコレクション

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。