『百人一首』……日本で生まれ育ったならば、どこかで一度は目にして、手に取って、遊んだこともあるかもしれません。中には学校の授業で百人一首をやったという地域もあるでしょう。
そんな百人一首を作ったのは、かの有名歌人である藤原定家(ふじわらの さだいえ)ですが……。その制作に深く関わった鎌倉御家人がいました。
それが下野国(現・栃木県)の武士、宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)です。彼がいなければ、百人一首はこの世に誕生しませんでした。
というわけで、宇都宮頼綱の半生を辿りながら、鎌倉時代の「歌」の世界に入ってみましょう。
宇都宮頼綱の半生
宇都宮頼綱は治承2(1178)年に生まれたとされています。
祖父の朝綱(ともつな)は朝廷の警備兵で、頼綱の母も祖母も京都生まれの女性。和歌や京の習わしなど、教養がある由緒正しい家柄でした。
宇都宮頼綱の祖父、朝綱
源平合戦の頃の宇都宮氏の長は頼綱の祖父である朝綱です。朝綱は関東地方で頼朝が打倒平家を掲げて挙兵したとき、京都にいました。
平清盛は関東地方の有力者である朝綱を捕まえて抑留してしまいました。しかし4年後に故郷に帰る事を許されると、すぐに頼朝の元に参じて鎌倉御家人となります。まあ、その気持ちはよくわかりますね。
平家が滅亡し、鎌倉幕府が成立すると、弟の八田知家(はった ともいえ)と共に幕府を支えました。ちなみに八田知家はのちに13人の合議制のメンバーの1人となります。2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にもきっと登場するでしょう。
その後朝綱は隠居し、時期は不明ですが頼綱が宇都宮氏を継ぐことになりました。
頼綱の出家
頼綱が22歳になった時、頼朝が亡くなって鎌倉幕府は陰謀渦巻く政治の世界となります。若者ながらうまく乗りこなしていた頼綱でしたが、27歳になった頃、突然謀反の疑いを掛けられてしまいました。
そこで頼綱は周囲がびっくりするぐらいの早さで思い切った行動に出ました。「出家」です。蓮生(れんしょう)と名乗り、光り輝く頭で鎌倉にやってきて謀反の意志がない事と、非礼に対する謝罪をして、息子に家督を継がせました。
宇都宮頼綱と藤原定家
とはいっても、出家後は大人しくしていたというわけではありません。京都と宇都宮と鎌倉を行ったり来たりと精力的に活動していたそうです。
また法然(ほうねん)や証空(しょうくう)などといった高僧に師事し、全国を旅しました。
そして京都の屋敷が、藤原定家の屋敷とご近所で、互いに和歌に造詣が深いこともあり、二人は親友となりました。定家の息子と頼綱の娘を結婚させたほどです。二人の和歌のやりとりも残っています。
(東へ行ってしまう人へ)
ゆく人の又あふ坂の関ならば 手向けの神を猶やたのまん行ってしまう人よ、また逢いましょう。(東へ帰る時に)逢坂の関を越えるのなら、旅の神にあなたの安全を頼んでおきましょう。
藤原定家
(返し)
あふさかの関もる神にまかせても 名こそ手向けのたのみ也けり(旅の安全は)逢坂の関を守る神に任せましょう。ご利益があると評判の神に頼んでくれて、ありがとう。
蓮生法師
逢坂(おうさか)の関とは、現在の京都と滋賀の境にあった関所のことで、京都から出て行く人や、京都へ帰ってくる人を思う歌によく出てきます。2人の仲の良さがよくわかる歌ですね!
百人一首を作ったのは、蓮生の為
さて、蓮生こと宇都宮頼綱と藤原定家が仲良く歌を詠み合っていた頃の京都では、家のふすまに和歌を書いた色紙を張りつけることが流行していました。結構、現代でもやりようによってはオシャレなインテリアになりそうですね。
蓮生は、自分が住んでいる家のふすまに張りつける和歌の選定を定家に頼みました。
定家は親友の為に、歴史上の有名歌人の歌から選び抜き、色紙にしたためました。そう、それが百人一首の元となりました!
天皇から和歌集の編纂を直接依頼されるほど名の知れたトップクラスの歌人に、直接依頼できちゃうなんて想像を絶する贅沢ですね!
このように、蓮生は僧として旅をしたり、歌人として文化人と交流を深めたり、時には武士として寺社の警護を頼られたりと、バイタリティーあふれた生涯を送り、正元元(1259)年に82歳で亡くなりました。
百人一首のまち宇都宮
蓮生の故郷でも和歌はさかんで、宇都宮城や宇都宮の鎮守である二荒山(ふたあらやま)神社の神宮寺(じんぐうじ=神社の中にあるお寺)で歌会が行われたことが記録に残されています。
宇都宮で蓮生を中心に形成された歌人の集まりを宇都宮歌壇(かだん)といいます。京都が中心の和歌の歴史の中でも、東国歌壇の代表として注目される大きな存在感を放っていました。
しかし室町時代に入るとしだいに衰退してしまい、宇都宮歌壇はいつのまにかなくなってしまいました。けれど、蓮生と藤原定家が作った百人一首は800年の時を越えてもなお色褪せずに日本文化を彩っています。
宇都宮市では現在、年に1度百人一首大会を開き、小中学校では地元の歴史・文化・伝統を学ぶ一環として、宇都宮頼綱や百人一首を取り扱っています。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、坂東武者を中心としたストーリーとなるでしょう。ドラマではどこまで扱うかはまだ分かりませんが、坂東武者としての宇都宮頼綱、文化人としての蓮生。坂東と京の関係を知るには注目すべき人物です。
個人的には彼についての展示会や講演会をもっとやって欲しいなと思っています。
もしかしたら、あなたの地元にも歴史的、あるいは文化的な重要人物がいるかもしれません。来年に鎌倉時代大河が控えている今が発掘チャンスかもしれない! 来たれ! 鎌倉時代ブーム!
アイキャッチ画像:錦朝楼芳虎『新板栄寿百人一首双六』山城屋甚兵衛(出版)、国立国会図書館デジタルコレクションより
参考文献
『宇都宮市史』
取材先
宇都宮市教育委員会事務局文化課 文化財保護グループ
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1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)